【本文】


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

『〈自己完結社会〉の成立』(下巻)
【第九章】〈自己完結社会〉の成立と〈生活世界〉の構造転換


(7)“時代”と人間の〈生〉


 さて、われわれは以上を通じて、およそ150年に及ぶ〈生活世界〉の構造転換について見てきたことになる。

 冒頭において述べたように、本章の目的は、〈自己完結社会〉の成立という事態を受けて、われわれがその意味を自身に連なるものとして理解すること、“死んだ事実”としてではなく、それを「場の連続性」と「〈生〉の連続性」に基づく「意味のある過去」として掌握するということにあった。
 こうした地平から過去を見つめることによって、われわれはそこから何を読み取ることができたのだろうか。

 最初に指摘できることは、さまざまな人々の思いとは無関係に、われわれの社会は〈自己完結社会〉へと向かう〈生活世界〉の構造転換を着実に進めてきたという事実である。

 例えば「第一期」において、明治政府が「官僚機構」「市場経済」を導入したとき、構造転換をもたらす最初の条件が整えられた。そして「第二期」において、人々が財やサービスによって“豊かな暮らし”を実現しようとしたとき、少しずつだが構造転換の歯車が回り始めたのであった。
 「第三期」になると、われわれは〈郊外〉を舞台として、ついに「〈ユーザー〉としての生」を実現する。しかし、それは同時に「〈共同〉のための事実」を失うことをも意味していた。

 さらに「第四期」になると、「情報世界」が台頭してくる一方で、〈存在の連なり〉から浮遊し、「〈共同〉のための意味」「〈共同〉のための技能」も継承されず、また〈役割〉〈信頼〉も失った新しい世代が〈郊外〉に出現してくることになる。
 そしてわれわれが目撃している現在、人々は〈社会的装置〉にぶら下がって「不介入」に明け暮れ、ついには〈許し〉さえも失うだろう。

 だが彼らこそ、〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉、そして〈関係性の病理〉〈生の混乱〉に直面しているわれわれ自身の姿なのであった。

 とはいえここには、われわれが読み取るべきより重要なことがある。それは第一に、“時代”というものがもたらす、人間の〈生〉の残酷さに他ならない(202)。
 例えばわれわれは、この150年を俯瞰していくなかで、それぞれの時代を懸命に生きた人々の姿について見てきただろう。しかしその誰一人として、おそらく自らの時代の先に、何が待ち受けているのかを正確に見通せたものなどいなかったのである。

 幕末の志士らが露国に勝利する帝国日本の姿を知らなかったように、大正知識人らは、米軍基地によって安全を保障される戦後日本の姿を知らなかった。瓦礫のなかで生き延びた人々が、隆盛する「経済大国」の姿を知らなかったように、札束にまみれたバブル紳士たちは、「失われた20年」に苦しむこの国の惨状を知らなかった。
 同様にして、内地へ帰るという思いを胸に、遠く戦地で息絶えた兵士、腹を空かせた家族のためにと、煤だらけになって働いた炭坑夫、豊かで文化的な暮らしを求め、「カイシャ」に全生活を注ぎ込んだ企業戦士、インターネットの可能性を信じて、システム開発に挑んだエンジニア、その誰一人として、自身の生きた〈生〉の先に、〈自己完結社会〉が聳えていることなど知るよしもなかったのである。

 だがここにこそ、人間が生きることのひとつの宿命がある。それはいかなる人間も、時代において生まれ、時代において生き、そして時代において死んでいくという、人間存在の根源的な定めに他ならない(203)。
 時代において生まれるとは、自身の望みとは関係なく、人間はある時代に生まれてしまうということを意味する。また時代において生きるとは、生まれた時代に規定されながらも、人間は眼前の現実のなかで格闘し、より良く生きようとするということを意味する。
 そして時代において死ぬとは、命が尽きるそのときでさえ、人間は自らを規定する時代そのものからは決して逃れられない、ということを意味しているのである。

 このことは当然、現代を生きるわれわれ自身にもあてはまる。われわれもまた、この〈自己完結社会〉が台頭していく時代のもとで生まれ、この時代のもとで生き、そしてこの時代のもとで死んでいかなければならないからである。

 時代において死すべき人間は、いつの日か必ず時代そのものによって裏切られるときが来るだろう(204)。われわれもまた、移りゆく時代のなかで、やがて必ず取り残されるときが来る。しかしそのことを自覚してなお、人は生きなければならない。
 直面するひとつひとつの〈生〉の瞬間に、何かを選択し、何かを選択しない決断をしなければならない。だが、それこそが与えられた〈生〉を生き抜くということ、人間存在が「担い手としての生」を生きるということに他ならないのである。

 そのように考えれば、われわれはどこか時代について安易に考え、善悪正誤を持ちだすことで、いとも容易く時代を裁断しようとしてきた側面はなかっただろうか。
 時代に生きる人間の残酷さを思えば、あの幾世代にもわたって続く〈生〉の連なりのなかで、たった一時代の価値基準がいかに儚いものであるのかが分かるだろう。

 人間は、必ず誤る存在である。何が正しい判断で、何が誤った判断だったのかということは、後の時代になってからしか分からない。しかも50年後にようやく正しかったと評価されたことが、100年後には再び誤りだったと否定されることさえ十分にありえるのである。
 それでもわれわれは、同時に過去を評価し、自らの生きる時代を定義してくことを避けられない。それは何かを決断していくためには、その前提として、何らかの評価や定義が必ず求められることになるからである。

 要するに問題は、時代を評価することそのものではなく、そこに絶対的な何ものかを持ちだし、揺るぎない評価が可能であると見なすわれわれの態度の方なのである。

 われわれは、それぞれの時代に生き、そこで選択と決断を迫られた過去の人々に思いを馳せる必要がある。抗い切れない時代の流れのなかで、それでも良く生きようとして現実と格闘してきた多くの人々の生き方に触れる必要がある。
 そしてわれわれ自身もまた、必ず誤るということを覚悟しつつ、自らの背負った時代の現実に立ち向かっていかなければならない。それが本章の冒頭で見た、「生きた地平」に立つということ、そして時代に生きる人間の残酷さに対して、われわれが向き合っていくための作法であるとも言えるだろう。

 続いてわれわれが読み取るべき第二のことは、一連の歴史過程のなかで繰り広げられてきた、理想と「諦め」とをめぐる問題である。

 われわれはこの150年もの間、それぞれの時代に、それぞれの形で人々が思い描いた理想が存在したことについて見てきただろう。
 例えば「第一期」の理想が、西洋諸国と対等に渡りあえる“近代国家日本”の建設だったとするなら、「第二期」の理想は、「悪しき戦前」と対置されるものとしての“平和国家日本”の実現であった。
 そして「第三期」の理想が、経済的な繁栄と、豊かで文化的な生活の実現だったとするなら、「第四期」以降の理想は、「自由な個性」に根ざした「自己実現」であったと言える。

 ここで改めて気づかされるのは、いつの時代も人々は理想を求めたが、その理想の性質について言えば、そこには著しい違いもまた存在してきたということである。

 例えば「第一期」の理想は、西洋列強の台頭という現実が要請したものであった。そこには多くの理念が含まれてはいたものの、その根底にあったのは、この国が独立国家としての主権を維持できるかどうかという切実な問題だったのである。
 それに対して「第二期」の理想は、現実よりもはるかに理念が先行するものであった。そこでは、現実の外部に「平和主義」や「民主主義」といった理念があらかじめ措定され、そこから理想とは異なる現実を否定し、その否定の力学によって変革が希求されていたからである(205)。
 「第三期」になると、理想は経済活動や私生活という形で、再び現実に根ざしたものとなった。しかしそれが「第一期」と異なったのは、それが本質的には個人に属するものとなっていたからである。
 そして「第四期」以降になると、理想は「自己実現」に値する「かけがえのないこの私」や、他者の脅威から逃れられる「自分だけの世界」といった形で、再び現実から浮遊したものとなっていくのである。

 要するにわれわれの理想は、「社会的なもの」から「個人的なもの」へと、そして「現実に寄り添うもの」から「現実を否定するもの」へと移行してきた(206)。それはまさに〈存在の連なり〉に根ざすことのない、〈社会的装置〉にぶら下がって生きる〈ユーザー〉たちに相応しい理想の形であると言えるだろう。だが、まさにその最果てにおいて、あの広大な「諦め」が人心を支配していくことになったのである。

 ここでわれわれが考えるべきことは、「第四期」以降の若者たちが抱えていた、この「諦め」の感情が投げかけていることの意味についてである。そしてその手がかりとなるのは、〈存在の連なり〉のなかで悠久の時代から交わされてきた、あの「青年たち」「すでに青年を終わらせた者たち」との間の〈役割〉や〈信頼〉の形である。

 例えば歴史を紐解いてみれば、いつの時代も理想を掲げて極端に走るのは「青年たち」の方であった。そして早まる「青年たち」を諫めつつ、現実と向き合うことの真意を諭そうとするのが、「すでに青年を終わらせた者たち」の役割であったと言える。

 岐路に立つ時代においては、前時代の人間よりも、その瞬間を生きる「青年たち」の方が、ときにはるかに来たるべき時代の本質を捉えていることがある。だからこそ「青年を終わらせた者たち」は、決して彼らを見捨てようとはしなかった。
 そしていかなる「青年たち」も、じきにその役割を終わらせるときを迎え、やがて新しい「青年たち」を受け入れる側に立つことになる。ここには、われわれが「人間存在に対する〈信頼〉」と呼んできたもののひとつの形があったのである。

 しかしこうした〈信頼〉は、すでにわれわれの社会からは失われているように見える。というよりも、「第四期」以降の「諦め」が象徴するのは、この幾世代にもわたって繰り返されてきた〈信頼〉の形が破綻した姿だからである。

 確かにこの国の「青年たち」は、現実にも未来にも関心を持てなくなり、「この私」と「自分だけの世界」にますます自閉しつつあるようにも見えるだろう。
 だがそれとは対照的に、「すでに青年を終わらせた者たち」であるはずの人々もまた、自らが率先して時代の開拓者たろうと躍起になり、意図せずして「青年たち」を見捨てる結果を招いているようにも見えるのである(207)。

 確かに温室育ちの〈漂流人〉たちは、生きることの残酷さに直面して、あまりに容易く傷つき、怯んでしまうだろう。彼らの自己存在はあまりに繊細であり、彼らの神経はそれを防衛しようとして、すでにすり切れてしまっている。
 しかしわれわれが見てきたように、その根底にあるのは、〈漂流人〉としての根源的な浮遊性、人間社会に対する極度の不信感、そして自己存在に対する著しい肯定感の低さであった。そしてこの社会には、そうした人々を見守り、諫め、諭し、支えていくものが確かに欠落しているのである。

 いまやかつての〈旅人〉たちは、旅の終わらせ方が分からなくなっており、〈漂流人〉たちは、旅立つことの意味が分からなくなっている。しかし「〈ユーザー〉としての生」に慣れ切ってしまい、〈役割〉や〈信頼〉や〈許し〉、そしてそれに伴う〈共同〉の負担を忌避しているのは、〈旅人〉も〈漂流人〉も実は同じなのである。

 何かが「病んでいる」のだとすれば、それは“成熟”や“老い”に対する意味を喪失したこの社会そのものではないだろうか。
 いずれにしても、この先〈漂流人〉たちが立ちあがることができなければ、われわれの社会は滅びるだろう。移りゆく時代に、また不透明性を増していくこの世界のなかで、現実にも未来にも心を閉ざした人々が、「この社会を存続させる」などという重荷を背負えるはずもないからである。

 最後に、われわれが読み取るべき第三のことは、「戦後思想」の問題、とりわけ「第二期」に形作られた〈自立した個人〉に代わる人間の思想を、われわれが今日に至るまで、ついに構築することができなかったことである。

 これまで見てきたように、〈自立した個人〉の思想は、人々があらゆる拘束から解放されると同時に、責任ある主体として精神的に自立していくことを理想とする。
 そしてその直接的な背景にあったのは、「悪しき戦前」の克服と平和国家日本の建設という展望、そしてそこから根源的な問題として位置づけられた“個人の埋没”を、近代的人間類型の確立という「真の西洋化」によって乗り越えようと試みる、「第二期」特有の時代認識であった。

 もちろんこうした人間理解は、半世紀あまりの時間をかけて、徐々に変質を繰り返してきた側面がある。
 しかしわれわれが見てきたように、その思想を形作る着想そのものは、「(日本的)集団主義」の克服、「存在論的抑圧」からの解放、「自由な個性の全面的な展開」「自由な個性と共同性の止揚」、「自己実現」、「かけがえのないこの私」といった形となって、今日まで基本的には生き延びてきたと言えるのである。

 だがこれまで見てきたように、〈自己完結社会〉の諸問題は、こうした〈自立した個人〉の枠組みを延長するだけでは決して解くことはできない。

 例えば、今日のわれわれが抱えている閉塞感や「生きづらさ」は、本当に「自由な個性」に対する抑圧のためなのだろうか。あるいはさらなる自由選択、さらなる自己決定さえ実現すれば、われわれは互いに手を取り連帯していくと言えるのだろうか
 。それどころか自己責任を受け入れ、迷惑をかけまいと必死に他者を気遣い、「自分だけの世界」を携えて、健気に孤独と奮闘し続ける現代人は、むしろ〈自立した個人〉そのものではないだろうか。

 われわれはすでに十分〈自立した個人〉として生きているのであって、むしろ〈ユーザー〉として「自立」しているからこそ、かつてない「抑圧」に苦しめられていると言えるのである。
 われわれが目撃しているのは、こうして多様な価値観の「共生」さえ実現した社会のなかで、誰もが人間存在に対して底知れぬ不安、恐れ、憎しみばかりを増幅させていく恐るべき世界に他ならない。

 われわれに足りなかったものとは何だったのだろうか。その手がかりは、おそらく〈思想〉というものに対するわれわれの向き合い方にある。

 【序論】で見てきたように、〈思想〉の原点とは、「意のままにならない世界」、「意のままにならない他者」との対峙を余儀なくされる人間が、その宿命と向き合おうとして紡ぎだしていく意味や言葉にあった。
 だからこそ「強度のある〈思想〉」のなかには、人間存在が現実との格闘のなかで見いだしてきた“生き方”や“あり方”の記憶が、世代を越えて内在している。

 思えば「第一期」の時代、われわれがいち早く西洋思想を翻訳し、近代的な社会制度を整備することができたのは、おそらくそこに江戸期までの文化の堆積、この列島で人々が育んできた〈思想〉の潜在力があったからである。
 そして同時代の人々が、そこで単なる西洋世界の模造品ではなく、われわれ自身の新たな生き方、あり方を真摯に模索していたとするなら、そこには確かに、〈思想〉の創造という契機が含まれていたと言えるだろう。

 これに対して「第二期」の人々は、確かにこの列島に蓄積された格闘の記憶を「前時代的」と見なして否定し、それを西洋思想という借り物によって塗り潰そうとしてきた側面があった。
 それは言ってみれば文化的な自己否定という禁じ手であったが、彼らがそれを用いた背景には、それでもなお希求すべき彼らなりの生き方、あり方に対する自負があったからでもあるのである。

 しかし運動の時代が終わり、繁栄の時代が色濃くなるなかで、われわれはいつしか本当の意味での〈思想〉を希求し、それを創造していくことを止めてしまったように見える。そしていつしか西洋思想の流行り廃りに流されながら、それを適宜紹介しつつ、惰性のままに西洋世界の模造品を創出することだけに汲々としてきたのではなかったか。

 そうだとするなら、われわれはいま改めて、過去の時代に〈思想〉の創造を試みてきた人々の生き方、あり方について考えてみるべきだろう。
 われわれが必要としているのは、この「第五期」の時代に相応しい新たな〈思想〉を創造していくことである。そのためには、われわれは単なる批判を超えて、人間存在の根源的な生き方、あり方の問題と再び向き合わなければならない。
 そしてそれが単なる借り物という形ではなく、われわれ自身の現実との格闘によって掌握されるとき、はじめてそれは「強度のある〈思想〉」となるだろう。

 われわれは先に、時代に生きる人間の〈生〉の残酷さについて見てきた。それはこの時代に生まれ、この時代に生き、この時代のもとで死んでいかなければならない人間存在の宿命である。

 そしてわれわれもまた、決してこの宿命から逃れることはできない。それでもなお、われわれはより良く生きようとして、何かを語り、何かをなそうとするだろう。そしてわれわれもまた、おそらく誤るのである。
 だが、もう一度思いだしてほしい。〈存在の連なり〉の遠い彼方には、同じ宿命に生きた、数々の人間存在の生き方、あり方があった。その無数の現実との格闘のなかに、人々が重ねてきた無数の理想や、挫折や、喜楽や、悲哀があった。われわれはそうした人々の〈生〉を、「意味のある過去」として「肯定」(208)することができるはずである。

 それと同じように、仮にわれわれが時代と真摯に向き合い「担い手としての生」を生き抜いたのならば、来たるべき人々もまた、いつの日にかわれわれを「肯定」してくれるだろう。
 そのことを信じることができるだろうか。そこにあるもうひとつの「人間という存在に対する〈信頼〉」。その息の根が絶えていないのであれば、われわれもまた精一杯生きるべきなのである。


【第十章】 最終考察――人間の未来と〈有限の生〉


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(202)ここで述べる人間の「残酷さ」や「悲しみ」について、筆者に深い洞察をもたらすきっかけとなったのは、増田敬祐との長年にわたる議論である。「残酷である、とは、当事者の心のどこかに自分は酷いことをしているという痛みの自覚が残る行為のことである。そうであるならば、残酷は、自分の居合わせる環境の選択が自分以外の何ものかに影響を及ぼす出来事であり、またその行為に対し、自分が当事者になる場合の恐れを意味する。残酷であることは、残酷に対する恐れを思い遣る同情心を伴う点で、残虐な行為とは区別される。偶さかの縁起に翻弄される人間は、その意味において誰でも残酷な出来事に居合わせることがあるだろう」(増田 2020b:316)。
(203)文意はやや異なるものの、ここでは吉田健彦の次の言葉も想起したい。「我々はここで安易に(人文学的な意味での)共生という言葉を使うべきではない。……人間存在が超個体としてしかあり得ないという事実は、だから我々は原理的に他者と共生すべき/できるのだという結論をもたらすのではない。だからそれはこの私が――この私であるにもかかわらず――常に後にしか存在しないのであり、それ故この私を――この私であるにもかかわらず――理解しきることさえできないのだという、存在の根源的恐怖と他者への畏怖を与えるのだ。それが、先に述べた「我々はノイズのなかで生まれ、ノイズの中で生き、ノイズの中で死ぬより他はない」ということが本質的に表していることである」(吉田 2018:251、「」内の傍点は筆者)。
(204)おそらく増田敬祐であれば、それを「時代に捨てられていく」と表現するだろう。
(205)こうした種類の理想のことを、われわれは【第十章】において、「現実に寄り添う理想」とは区別される形で、「現実を否定する理想」と呼ぶことになるだろう。
(206)もちろん、ここでの比較は十分なものとは言えないかもしれない。例えば「第一期」と「第二期」の理想は、基本的にはエリート層を中心としたものであり、「第三期」以降の理想は、基本的に一般庶民を中心としたものであるとも言えるからである。また、近代以前の社会的な人間構成は、きわめて重層的かつ複雑であり、そこでは全社会的に共有されうる理想が存在する余地などなかったとも言えるからである。
(207)端的に言えば、われわれの社会においては「青年のままの老人たちと、老人となった青年たち」とも言うべき、驚くべき逆説が展開されているのである。
(208)この「肯定」の概念をめぐっては、【第十章】の〈有限の生〉をめぐる分析において詳しく論じる。