ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「場の連続性」と「〈生〉の連続性」 【ばのれんぞくせいとせいのれんぞくせい】


 「われわれが過去との連続性を理解しようとする際、そこには必ずある種の媒介物が必要とされるということである。そのひとつは、〈自己存在〉が立脚している何らかの“場”であり――それは土地でも、家でも、地域社会でも、国家でも、惑星でもかまわない――それが現在とは異なる“過去の場”として、確かにそこに存在していたという「場の連続性」である。そしてもうひとつは、そうした“過去の場”に縛られながらも、われわれと同じように何かを感じ、何かを思い、生き、そして死んでいった“過去の人間”が、確かにそこに存在したのだという人間の「〈生〉の連続性」である。」 (下巻 13



 特定の歴史的事実が、〈自己存在〉への明確な連続性のもとで「意味のある過去」として捉えられる際に、両者を媒介する二つの要素のこと。

 「場の連続性」とは、その過去の事実が、〈自己存在〉が立脚している何らかの“場”(それは土地でも、家でも、地域社会でも、国家でも、惑星でもかまわない)を起点として、“かつてそこにあったはずの場”として想像されること。

 「〈生〉の連続性」とは、その過去の事実が、かつてそこにあったはずの“人間の〈生〉”(〈この私〉と同じように何かを感じ、何かを思い、生き、そして死んでいった過去の人間による)として想像されること。

 なお、こうした時空間的な連続性を実感するための実践的な手段として、「時間の地図の比喩」「一世代25歳の比喩」がある。