ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈自立した個人〉 【じりつしたこじん】


 「本書において〈自立した個人〉とは、人間の本質を個人に見いだし、それぞれの個人が何ものにもとらわれることなく、十全な自己判断/自己決定を通じて意志の自律を達成しているという人間の状態、そしてそうした状態を人間の究極の理想と理解する、ひとつの人間学でありイデオロギーとして定義されるものである。」 (上巻 67



 伝統や権威、世間や権力といった外的なものに服従することなく、自ら思考し、自ら判断できる主体となった独立した個人のこと。

 20世紀の人文科学では、そうした個人が自発的に連帯することによって、強制や同調圧力ではなく自由と自発性に基づく新たな形の〈共同〉がもたらされ(「自由な個性と共同性の止揚」)、より良い社会が実現できると信じられてきた。

 特に日本では、権威主義的かつ全体主義的な社会として規定された「戦前」を克服していくプロジェクトとして丸山眞男らの時代に先鋭化され、「個の埋没」と「集団主義」を超克する切り札として、長年にわたって「あるべき人間」の理念として不動の座を占めてきた。

 〈自立した個人〉は、M・フーコーを含む「ポストモダン論」を介して批判されてきた経緯があるが、本論ではそれとはまったく異なる文脈において全面的に批判することになる。

 例えば〈関係性の病理〉〈生の混乱〉を含む現代の社会病理は、〈自立した個人〉の実現を阻む権力や抑圧によって引き起こされたのではなく、〈自立した個人〉の理想を追い求め、その条件として〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉を加速させた結果としてもたらされているということ、また〈自立した個人〉の理想は、現実から乖離した理念によって現実を塗り替えようとする〈無限の生〉の「世界観=人間観」に立脚した、「現実を否定する理想」の典型であるがゆえに「無間地獄」を引き起こす(それは「存在論的な自由」という、〈有限の生〉の原則および人間的現実に反した虚構である)、といったようにである。

 なお、この思想の背景にあるものが「自由の人間学」であり、その派生物として「ゼロ属性の倫理」「かけがえのない私」といった概念もある。