ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「かけがえのない(この)私」 【かけがえのないこのわたし】】


 「しかし現実においては、そうした人々の多くが、誰かの「ありのまま」を受け入れるつもりなどさらさらない。それどころか、「唯一性」を秘めた自分は「かけがえのない」存在であるため、「ありのまま」を受け入れられて然るべきだが、不快に感じる何者かの「ありのまま」を受け入れることは、「ありのままの私」を歪めることになるため、拒否することが当然であるとさえ考えているだろう。」 (上巻 226-227



 西洋近代哲学に由来する人間的理想としての〈自立した個人〉の思想に付随する概念であり、人は誰でも、権威や権力といった外力によって歪められることのない唯一性を備え、その尊厳は無条件に尊重されるべきだとする自己認識のこと。

 この意識が拡大していくと、他者や世間によって付与される〈間柄〉は、抑圧や暴力として認識され、〈間柄〉から解放された〈関係性〉を理想とする「ゼロ属性の倫理」へと行きつくことになる。しかし人間存在が健全な〈関係性〉を構築するためには〈間柄〉や〈距離〉の原理が不可欠であり、すべてを「〈我‐汝〉の構造」に委ねるような〈関係性〉など、そもそも人間には耐えられない。

 換言すれば人間社会には必ず何らかの形で“標準”が形作られ、その“標準”がもたらす抑圧からわれわれは逃れられないという矛盾が生じることになる。自意識の肥大化によって「ありのままの私」こそが真の自己であり、〈関係性〉の網の目から自立し、いかなる制約をも受けない「この私」こそが尊重されるべきだと考えられるとき、人々は互いに「意のままになる他者」を求めているのであって、その先に残されているのは熾烈な「存在を賭けた潰し合い」だけでしかない。