ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「自己実現」 【じこじつげん】


 「そのうえで、現代的な〈生〉において圧倒的な意味を持っているのは、やはり「自己実現」であろう。……端的に言えば、自身が望んだものや能力を手に入れること、また自身が望んだ立場や関係性のなかにあって、自身が望んだ通りの評価を得られること、それがわれわれの〈生〉にとっての〈現実存在〉の大部分を占めているのである。」 (上巻 150



 一般的には、抑圧から解放され、自己の内なる可能性を発見し、それを具現化するといったポジテイィブな意味を持つが、本書では、現代人の求める自己実現が、「意のままにならない他者」を排除した形で想像された「ありのままの私」(あるいは「純粋な私」や「本当の私」)という虚構の自己概念を基盤とし、「かけがえのないこの私」という自意識とともに、「こうでなければならない私」という「現実を否定する理想」への妄執へと変質している点でネガティブな意味として捉えられる。

 そこに〈救い〉がないのは、そこで希求されているものが、結局は「意のままになる他者」であるがゆえに、「意味のある私」が存在することができないからである。

 「生の分析」(第二のアプローチ)から見ると、「自己実現」は、 「〈生〉の三契機」としての〈現実存在〉を実現に相当する現代的な様式としても捉えられる。

 〈現実存在〉の実現には、集団の一員としての自己を形成する(「受動的社会化」)とともに、構成員との間で情報を共有し、信頼を構築し、集団としての意思決定や役割分担を行っていくこと(「能動的社会化」)が含まれていたが、〈社会的装置〉への委託が進んだ現代社会においては、まず後者の「能動的社会化」に相当する営為が、個々の〈生〉の文脈においてほとんど重要な意味を持たなくなる。そして前者の「受動的社会化」だったものが、「〈生〉の不可視化」「〈生活世界〉の空洞化」を経て「自己実現」へと変質したと位置づけられる。

 現代人にとって「自己実現」は至上の価値として認識され、「学校教育」「経済活動」も、そのための手段であると理解される。

 なお本書では、A・マズローの欲求段階説にみられる自己実現概念や、K・ウィルバーらトランス・パーソナル心理学における自己超越概念の肯定的側面を認めつつも、両者が結局は、最終考察で分析した〈有限の生〉とともに生きることの意味についての洞察が不十分であったという形で総括されている。