ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「現実を否定する理想」 【げんじつをひていするりそう】


 「これらの価値理念が〈無限の生〉との間に深い連関性を備えていることは、それらが何より「現実に寄り添う理想」としてではなく、「現実を否定する理想」として語られてきたことにも良く現れているだろう。……「現実を否定する理想」とは、想像された理念から出発し、理念に相応しくない現実そのものを克服しようとする理想のことを指している。」 (下巻 118



 目の前にある「意のままにならない生」の現実は、あるべき理念に相応しく改変されるべきだと考える〈無限の生〉の「世界観=人間観」のもとで追求される理想の形態で、現実の外部にある理念から出発して、理念に即して現実を評価し、その否定の力学を梃子に現実の変革を試みようとするもの。

 その最も典型的なものは、マルクス主義を頂点としたユートピア思想であるが、「大きな物語」の失墜後の「ポストモダン論」においても、「存在論的自由」(諸個人が自らの存在を規定する「存在論的抑圧」から解放され、自らの存在のあり方を自己決定できなければならないとする)という形で、この理想の形態そのものは継承されている。

 「現実を否定する理想」は、その準拠点が現実の外部にあるがために、しばしば現実を改変する強力な潜在力を発揮しうる(ただしその潜在力が最も顕著に発揮されたのは、アメリカ独立戦争やフランス革命というよりも、数100万人もの人々を都市から農村へと強制的に移住させる過程で最終的には全国民の1/4あまりが死亡したとされるポル・ポトの試みである)。

 しかし、人間には人間である限り逃れられない何ものかがあるという現実(〈有限の生〉の五つの原則)を受け入れられないため、「まだだめだ」、「まだ足りない」と、理想とは異なる現実を絶え間なく否定し続ける「無間地獄」へ陥る危険性がある。

 ただし注意を要するのは、ここで「現実を否定する理想」を批判したからといって、人間存在が理想を持つことのそのものが否定されているわけではないという点である。

 何時の時代も人々は何かに理想を見いだしてきたし、人間存在が自らの生きる時代や現実と格闘するとき、勇気づけられるのは、まさしく〈存在の連なり〉の彼方に生きた人々の「生き方、あり方」に触れるときである(「生き方としての美」)。

 重要なことは、自身を取り巻く現実から出発し、それを引き受けた先にある、「より良き〈生〉」のための理想(「現実に寄り添う理想」)と、現実から離れた「あるべき人間(社会)」という地点に立って、理念に相応しくない現実を前に、本来無条件に与えられて然るべきもの(「本来の人間」)が実現していないといって嘆くことは違う、ということである。