用語解説
「〈ユーザー〉としての生」 【ゆーざーとしてのせい】
- 「象徴的に述べるとすれば、現代において、もはや〈生活者〉はいなくなったのである。ここで人間は例外なく〈社会的装置〉の〈ユーザー〉になったのであって、言ってみれば「〈生活者〉としての生」は、ここで「〈ユーザー〉としての生」へと移行したのである。」 (上巻 155)
「〈生〉の三契機」の実現を「市場経済」、「官僚機構」、「情報世界」を核とした〈社会的装置〉に委託することによって成立する〈生〉の形式で、「〈生活者〉としての生」に対置される概念。
「〈ユーザー〉としての生」が成立すると、自発性や自己決定の機会と幅が拡大し、近代的価値(〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」)が実現していくように見える。他方で、〈生〉を成立させている物事つながりや意味の文脈が不可視化され(「〈生〉の不可視化」)、それが個々の人々には、〈生〉を実現することに対するリアリティや、等身大の〈生活世界〉の喪失として感受される(「〈生活世界〉の空洞化」)側面がある。
また「〈ユーザー〉としての生」を拡大させるためには、〈生の自己完結化〉と〈生の脱身体化〉が条件となり、多くの矛盾を孕むことになる。