ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「第四期:情報化とグローバル化の進展まで(1995年‐2010年)」


 「続く「第四期」は、構造転換が更なる段階へと進んだ時代であった。そこでは「情報世界」という新たな〈社会的装置〉の構成要素が成立するとともに、〈郊外〉特有の浮遊性が全社会的に拡大していった。そうしたなかで、およそ地域社会と呼べるものが実質的な意味を失っていったのもこの時代であった。」 (下巻 4-5



 〈自己完結社会〉が成立していく様子を、日本社会の具体的な歴史過程に即して論じた「〈生活世界〉の構造転換」のうちの第四の期間で、「55年体制」の終焉にはじまり、インターネットを中心とした社会の情報化および経済的なグローバル化社会が進展する傍ら、「小さな政府」、「民間活力」、「規制緩和」などを謳った「構造改革」がもてはやされ、少子高齢化や格差社会が進展した期間(1995年‐2010年)のこと。

 思想史的には、グローバル化に対抗する新自由主義批判や、国家/市場に依存しない社会的サービスの担い手としての「アソシエーション論」が注目され、環境に優しく健康にも良い「昔ながらの暮らし」を再評価する「自然への回帰」や「生活への回帰」が流行する。

 加えて〈生活世界〉の実体としては、〈社会的装置〉の構成要素(第三の「歯車」)となる「情報世界」が台頭してくる一方で、「第三期:高度消費社会の隆盛からバブル崩壊まで(1970年‐1995年)」に見られた〈郊外〉的なものが宅地を越えて全社会的に拡大した(その象徴は、全国の地方に建設された巨大ショッピングモールである)。

 その結果人々の生活の舞台は、ますます土地から浮遊する人工世界となったが、その分人々の「〈ユーザー〉としての自由と平等」は確実に拡大することになった(この頃から地域社会は完全にその実体を失っていった)。

 とりわけ美しく無毒化され、コンセプト化され、パッケージ化された〈郊外〉のなかで生まれ育った人々は、生まれながらの〈ユーザー〉となり、〈存在の連なり〉から浮遊する〈漂流人(世代)〉と呼ぶに相応しい存在となる。

 彼らは競争と消費に明け暮れた前世代の生き方を嫌悪したが、代わりに〈自立した個人〉の人間的理想を、「存在論的抑圧」から解放された「かけがえのない個人」の思想として再構成し、「自己実現」を至上とする価値観のもと、それを実践しようとしてかえって「ありのままの私(本当の私)」をめぐる承認不安に直面するようになった。

 〈郊外〉に定住化したかつての〈旅人(世代)〉たちは、「〈共同〉のための意味」「〈共同〉のための技能」を〈漂流人(世代)〉に継承することはなく、人々の間からは、「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈役割〉の原理や〈信頼〉の原理も失われていくことになる。