ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「青年たち」と「すでに青年を終わらせた者たち」との間の〈役割〉や〈信頼〉 【せいねんたちとすでにせいねんをおわらせたものたちとのあいだのやくわりやしんらい】


 「だからこそ「青年を終わらせた者たち」は、決して彼らを見捨てようとはしなかった。そしていかなる「青年たち」も、じきにその役割を終わらせるときを迎え、やがて新しい「青年たち」を受け入れる側に立つことになる。ここには、われわれが「人間存在に対する〈信頼〉」と呼んできたもののひとつの形があったのである。」 (下巻 52



 世代の異なる人々の間で交わされてきた〈役割〉〈信頼〉の形で、とりわけ時を超えて「青年たち」と「すでに青年を終わらせた者たち」との間で交わされてきたもののこと。

 歴史を紐解いてみれば、いつの時代も理想を掲げて極端に走るのは「青年たち」であったが、実際岐路に立つ時代においては、「青年たち」の方が、前時代の人々よりもはるかに来たるべき時代の本質を捉えていることがある。

 「すでに青年を終わらせた者たち」はそのことを良く理解していたので、早まる「青年たち」を諫めつつ、彼らを守り支えてきた。そして「青年たち」もじきにその役割を終わらせるときを迎え、今度は「青年たち」を受け入れる側に回ってきた。こうした関係性は「担い手としての生」をめぐる〈役割〉の意識と、「人間という存在に対する〈信頼〉」が共有されてはじめて成り立つものである。

 しかし現代社会においてはこうした関係性は崩れ、「青年たち」は、現実にも未来にも関心を持てなくなり、ますます「自分だけの世界」に自閉していく一方で、「すでに青年を終わらせた者たち」であるはずの人々もまた、自らが率先して時代の開拓者たろうと躍起になり、意図せずして「青年たち」を見捨てる結果を招いているようにも見える(ここには「青年のままの老人たちと、老人となった青年たち」とも言うべき逆転現象が生じている)。

 ここには「〈ユーザー〉としての生」に慣れ切ってしまい、“成熟”や“老い”に対する意味を喪失した〈自己完結社会〉のひとつの縮図がある。