ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「諦め」 【あきらめ】


 「こうして“温室育ち”の〈ユーザー〉たちは、生きることの残酷さに直面してすぐに傷ついてしまう。自意識だけを肥大化させ、「この私」をめぐる浮遊した理想にばかり縋ってしまう。しかし彼らは、同時にそれが張りぼてに過ぎないことを良く知っているので、自己存在に底知れぬ不安を抱えることになるのである。……そうして彼らは「誰も本当の自分を分かってくれない」といって、虚無に似た「諦め」にどっぷりと浸りつつ、その感情を誰に向けるでもなく「情報世界」へと流出させていく。」 (下巻 40



 「〈生活世界〉の構造転換」のうちの「第四期:情報化とグローバル化の進展まで(1995年‐2010年)」において、本書が〈漂流人(世代)〉と呼ぶ人々に見られた特徴的な虚無感のこと。
 
 消費と競争の享楽に明け暮れて行き詰まった年長世代を見て育った人々は、〈自立した個人〉の思想を「かけがえのない個人」の理想と読み替え、自分らしさ(「ありのままの私(本当の私)」)を軸とした「自己実現」こそ人生の至上の目的であるとの価値観を育んでいった。

 しかし自意識ばかりが肥大したその存在(「この私」)はどこまでも不安定であり、幼少期から〈共同〉に関する経験に乏しいことも重なって(彼らには「〈共同〉のための意味」「〈共同〉のための技能」は継承されておらず、「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈役割〉の原理や〈信頼〉の原理も機能しなくなる)、生の現実に対して容易に傷つき挫折感を感じることになった。

 彼らは、「かけがえのない個人」の理想が求める自己存在への過剰な期待と、それに対する裏腹な、自己や世間に対する根源的な不信感とによって引き裂かれていた側面があったのであり、その中心的な感情は、悲しみや孤独感をも通り越した、「何をしてもどうせすべてが無意味(徒労)である」との、果てしのない虚無感である。