ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「存在論的抑圧」 【そんざいろんてきよくあつ】


 「繰り返し称揚されてきた、あの「自由な個性」や「かけがえのない個人」とは何だったのだろうか。そこで問題とされていたのは、政治権力による思想統制や言論封殺といったものではなく、あくまで個としての人間存在を拘束する「鉄鎖」、人間を規定しようとする他者や世間がもたらす抑圧であった。われわれがそこで語っていたのは、諸個人があまねく「存在論的抑圧」から解放され、あるべき「存在論的自由」を獲得していく物語、すなわちあの〈無限の生〉=「意のままになる生」の物語だったのである。」 (下巻 114



 「存在論的自由」の理念(自らの存在のあり方を自己決定していくことこそ人間存在のあるべき姿であると考える)から照射される形で、人間存在を規定する何ものかを不当な外力として批判的に捉える際に用いる概念。

 「政治的自由」において、抑圧とはもっぱら政治的な弾圧や言論統制を意味したが、ここでは伝統や慣習、属性によるステレオタイプ的な認知、他者との〈関係性〉に内在する権威や権力性などが典型的な抑圧だと見なされる。

 〈自立した個人〉の思想の文脈では、それは意志の自律を阻む権威や他者の存在として理解され、「ゼロ属性の倫理」の文脈では、生まれながらに個人を基礎づけている生物学的な差異や属性、自らの意志では決定できない所属や〈関係性〉として理解される。

 また「ポストモダン論」における権力論、カルチュラルスタディ、ポストコロニアル批判など、「存在論的抑圧」をイデオロギーとして暴きだすアプローチには、こうした思想が踏襲されていると言えるだろう。

 「存在論的抑圧」から解放され、「存在論的自由」を獲得することこそ人間の理想であるとの考えは、〈無限の生〉の「世界観=人間観」として希求されるが否や、人間の現実を無視した無制限の現実否定(「無間地獄」)をもたらす危険性がある。

 とりわけ「〈ユーザー〉としての生」が拡大した時代においては、究極的には〈存在の連なり〉そのものが悪しき抑圧となり、「意のままにならない他者」そのものが、「かけがえのないこの私」の自発性、自己決定を抑圧する、高リスク、高負担の存在であると見なされるようになることで、〈自己完結社会〉の成立を促進させることになる。