用語解説
〈郊外〉 【こうがい】
- 「とはいえこうした〈郊外〉は、ひとつの地域社会のように見えて、その実、伝統的な地域社会とはまったく異質な空間でもあった。・・・・・・〈郊外〉とは、そうした無数の「カゾク」が、その土地本来の文脈とは無関係に集住するという、まったく新しい社会的空間だったからである。伝統的な地域社会が、絶えざる隣人同士の〈共同〉によって支えられてきたのに対して、〈郊外〉においては、前述のように隣人同士の〈共同〉がそもそも想定されていない。」 (下巻 30)
「〈生活世界〉の構造転換」のうちの「第三期:高度消費社会の隆盛からバブル崩壊まで(1970年‐1995年)」を中心に都市近郊で拡大した、ベッドタウン、団地、ニュータウンとも呼ばれた新興住宅地のことを指すが、存在論的には、隣人同士の〈共同〉がそもそも想定されていない新しいタイプの地域社会として定義される。
伝統的な地域社会が絶えざる隣人同士の〈共同〉によって支えられてきたのに対して、〈郊外〉は、ひとつひとつの世帯が「カイシャ」を介して〈社会的装置〉に直接ぶら下がり、その「カイシャ」を支える「カゾク」が無造作に集住するという形態をなしている。
つまりそれぞれの「カゾク」が紐付けされているのはあくまでそれぞれの「カイシャ」であって、地域社会そのものではない。そのためそこには最低限の“交流”はあっても、〈共同〉の必然性、「〈共同〉のための事実」が成立しなくなる。
また〈郊外〉は、ディベロッパーらによって都合良くパッケージ化された、それ自体がひとつの商品でもある。トレンディドラマを思わせる名称に、テーマパークのごとき整然さに包まれた造形は、その空間に人間存在が幾世代もの時間を経て、その土地で〈生〉を紡ごうとして重ねてきた諸々の記憶が欠落していることが象徴されている。
つまり〈郊外〉とは、決して〈存在の連なり〉に根づくことのない空間であり、だがそれゆえに「〈ユーザー〉としての生」を実現するのに相応しい生活の場でもあるということ、そしてこの時代に人々が感じていた虚構感や浮遊感は、多かれ少なかれこうした〈郊外〉の性格にも由来していると考えることができる。
なお、こうした〈郊外〉は、「第二期:戦後復興から高度経済成長期まで」の〈旅人〉たちの定住化した姿としても理解され、後の〈漂流人(世代)〉が誕生する母体ともなっていく。