『〈自己完結社会〉の成立』(下巻)
【第十章】最終考察――人間の未来と〈有限の生〉
(2)〈無限の生〉と西洋近代哲学の深淵
ここからわれわれは、この〈無限の生〉という「世界観=人間観」の成立過程について見ていくことにしよう。その際注目したいのは、前述のように、この「世界観=人間観」が、〈自立した個人〉の思想のみならず、われわれが長きにわたって模範としてきた西洋近代哲学の伝統そのものに根ざしている側面があるということである。
最初に見ていきたいのは、J・ロック(J. Locke)やJ・J・ルソー(J. J. Rousseau)らによって基礎づけられ、I・カント(I. Kant)においてひとつの完成を見た人間理解、〈自立した個人〉の思想の母体ともなった「自由の人間学」についてである。
言うまでもなく“自由”(liberty, freedom)は、西洋近代哲学を貫く最も重要な中核概念のひとつであり、ここ250年あまりの西洋哲学の歴史は、この「自由の人間学」をめぐる継承と批判の物語であったとも言えるだろう(6)。
ところがこの近代的な自由の概念には、実はその始まりからして、すでに〈無限の生〉へと至る重要な着想が含まれていた。その第一は「時空間的自立性」、すなわちそこで想定されている“人間”が、自らを取り巻く他者存在や意味体系といったものに先立つ形で、ひとつの個的実体、主体として存在しうるという想定である。
こうした人間理解は、確かにこれまでも批判の対象となってきた。その代表格とも言えるのは、「負荷なき自己」(unencumbered self)を批判し、「位置ある自己」(situated
self)を主張してきたコミュニタリアニズムであるだろう(7)。
「自由の人間学」が語る人間は、確かにその存在の前提に、他者や意味体系というものを必要とはしていない。と言うよりも、ここでの人間は――【第五章】でも触れたように――他の生物存在も、自然生態系も、厳密に言えば物質的な環境でさえも必要としていない。
それどころか、人間それ自体が死ぬことも、誕生することも、世代交代をすることもないのである(8)。ここで人間の実体をなしているのは、あらゆる〈存在の連なり〉から独立し、身体さえも喪失した「思念体」のごときものだからに他ならない。
そして第二は、「約束された本来性」、すなわちこの世界には未だ現実には現れていないものの、未来において実現することが約束された「本来の人間」なるものが存在するという想定である。それが見事に体現されているのは、「人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖につながれている」というルソーの言葉であるだろう(9)。
実際、われわれはこの一文のなかから、第一に、現実の人間は「鉄鎖」に縛られているということ、しかし第二に、そうした現実とは異なり、人間には本来あるべき自由を実現した別の状態が存在しうること、そして第三に、それゆえ人間は自らを縛る「鉄鎖」から解放され、「本来の人間」を実現しなければならない、という三段階の主張を読み取ることができる。
「本来の人間」が未来において実現されるべきものであるとするなら、誰一人としてそれを目撃したことなどないはずである。それにもかかわらず、ここには「本来の人間」=「あるべき人間」が存在するという確信だけが先にあり、そこから照射して、現実の方が克服されるべきものとして捉えられているのである。
もちろんわれわれは、ここでこうした自由な主体が、あくまで「政治的自由」、すなわち専制政治を批判し、それとは異なる政体を論じるために構想されたものだったということを想起しておく必要がある。
確かに「思念体」も、「本来の人間」も、もともとは権力の構造、権力の正当性を論じる固有の文脈のもとで導入されたものであった。
問題は、こうした人間に対する規定が、やがて「政治的自由」の脈絡から外れ、次第に人間存在そのものへと一般化された「存在論的自由」を論じるものへと拡張されていったことである(10)。そしておそらくそのときにこそ、われわれは〈無限の生〉へと続く扉を開くことになったのである。
例えばカントの「意志の自律」(Autonomie)は、その過渡期を象徴しているように思える。
よく知られるように、カントは他者や権威といった外界の影響を受けた意志のあり方を「他律」(Heteronomie)と呼び、理性と自身の格律とに基づいた意志の「自律」こそが人間のあるべき姿であるとした(11)。
確かにわれわれは、ここで先の前提が、自由な意志という形のもと「存在論的自由」にまで拡張された姿を看取することができる。例えばここでは、理性を十全に行使するものこそが「本来の人間」である。そして環境や身体、他者や権威がもたらす影響など、理性を曇らすあらゆる要因は、ここではいずれも「本来の人間」を歪める「鉄鎖」となる。
そして一切の外的影響を受けない意志など本当に可能なのかという問いは不問のまま、ひたすら「鉄鎖」からの解放と、「本来の人間」の実現が称揚されることになるのである。
カントが切り開いた「存在論的自由」は、その後G・W・F・ヘーゲル(G. W. F. Hegel)やK・マルクス(K. Marx)を経て、歴史哲学や社会理論へと展開されていった。例えばヘーゲルであれば言うだろう。
人間の歴史とは、人間が野蛮状態を克服し、自由を実現していく発展進歩の過程であると(12)。そしてマルクスであれば言うだろう。人類の進歩は何よりも生産様式の転換において現れる。最後の革命が階級闘争に終止符を打つとき、「必然性の国」(Reich der Notwendigkeit)という人類の“前史”まもた終焉する。そしてこのとき、ついに「自由の国」(Reich der Freiheit)という名の真の人間の歴史が始まるのだと(13)。
こうした主張に込められていたのは、われわれが自らを縛る「鉄鎖」を脱ぎ捨てていき、いわば人類として「本来の人間」に到達するのだという広大な歴史認識である。
確かに20世紀末になると、「ポストモダン論」が主張するように、こうした「大きな物語」は勢いを喪失していった。とはいえそのことによって、〈無限の生〉の物語そのものが終焉したわけでは決してなかった。
前述のように、〈無限の生〉の根底にあるのは「意のままになる生」である。それは人間存在が現実に介入することによって、望まぬ何かを取り除き、思い描いた世界を創造できるとする信念に他ならない。
「大きな物語」において強調されていたのは、「存在論的自由」を獲得していく主体としての“人類”であった。「意のままになる生」の物語は、ここで人類の物語としては廃れていったが、個人の物語としてはむしろ肥大化を続けることになるのである。
われわれはここから、個人の物語としての「存在論的自由」について目を向けてみよう。
実際われわれは、これまで数々の「鉄鎖」から解放されてきたはずである。飢餓や貧困からの解放、古臭い伝統や慣習からの解放、そして地域の隣人たちからの解放といったように、われわれはこれまで着実に「意のままにならない生」の桎梏から解放され、「存在論的自由」を実現させてきたのである。
また、繰り返し称揚されてきた、あの「自由な個性」や「かけがえのない個人」とは何だったのだろうか。そこで問題とされていたのは、政治権力による思想統制や言論封殺といったものではなく、あくまで個としての人間存在を拘束する「鉄鎖」、人間を規定しようとする他者や世間がもたらす抑圧であった。
われわれがそこで語っていたのは、諸個人があまねく「存在論的抑圧」から解放され、あるべき「存在論的自由」を獲得していく物語、すなわちあの〈無限の生〉=「意のままになる生」の物語だったのである。
そのように考えれば、ひたすら個人の埋没を批判してきた〈自立した個人〉の思想こそ、まさしくこの物語を正統に受け継ぐもののひとつであったことが理解できる。
というよりも、これまで見てきた「ゼロ属性の倫理」――〈間柄〉なき〈関係性〉が可能であるとする――も、「積極的自由」――負担なき〈共同〉が可能であるとする――も、「本当の私」――〈他者存在〉から独立した〈自己存在〉が可能であるとする――さえも、結局は同じ物語を共有していたと言えるのである(14)。
それらはいずれも「思念体」のごとき「本来の人間」から出発し、そこから「意のままになる生」を夢想する物語であった。そしてその物語が具現化したものこそ、まさしく「〈ユーザー〉としての生」であり、その先にあるものこそが、〈自己完結社会〉に他ならなかったのである。
しかしわれわれは、ここでひとつの疑問に直面することになるかもしれない。例えば〈無限の生〉を「意のままになる生」としてのみ理解するとき、それははたして西洋近代哲学だけのものだったのかということである。
仮に人間がその始まり以来、「意のままにならない生」の現実を克服し、「意のままになる生」を実現させようと奮闘してきたのだとするなら、むしろ〈無限の生〉こそが人間の本性であるということにはならないのだろうか。
確かに人間存在は原始以来、現実との格闘を繰り返してきた。人間的世界に内在する「社会的構造物」や「社会的制度」も、あるいは「意味体系=世界像」を形作る〈間柄〉の体系や「〈共同〉のための作法や知恵」も、考えてみれば、確かにそうした絶え間ない“格闘”がもたらした産物であったと言える。しかし重要なことは、ここでの「現実との格闘」が、その内実として何を意味するのかということである。
というのも、人間的現実を引き受けてもなお、より良き〈生〉を見いだそうとして格闘することと、あるべき人間の姿から出発し、理想とかけ離れた現実を否定しようと格闘することとでは、人間学的な意味がまったく異なるからである。
後に見るように、古代から受け継がれてきた多くの「世界観=人間観」は、〈有限の生〉に根ざしたものであった。そこでの世界に対する根源的な態度とは「意のままにならない生」であって、後者のような「意のままになる生」を前提としたものでは決してなかったのである。
したがってわれわれが問うべきことは、むしろなぜ西洋近代哲学だけが、〈無限の生〉を突出させる帰結を招いたのかということだろう。
例えば西洋哲学の起源のひとつは、ギリシャ哲学である。われわれは【第五章】において、西洋哲学にはアリストテレス以来、〈生存〉軽視とも言える伝統があったことについて見てきた。それは衣食住と結合した「暮らしとしての生活」ではなく、衣食住から切り離されたところにある「精神としての生活」こそが、真の人間の生活であると考える伝統である。
「人間的〈生〉」の本質から〈生存〉の契機を取り除くということは、言ってみれば“身体なき人間”を真の人間と見なすことに等しい。ここには一面において、確かに「時空間的自立性」に通じる部分があったと言えるのである。
しかし〈無限の生〉へと至る道程のなかで、より重要な役割を果たしたのは“キリスト教”ではなかっただろうか。
もちろんキリスト教の「世界観=人間観」そのものは、他の多くの世界宗教と同様に、決して〈無限の生〉を称揚するものではなかった(15)。注目したいのは、ルネッサンス期のキリスト教であり、そこで花開いた独特の「世界観=人間観」である。
例えばキリスト教では、この世界を唯一絶対的な存在としての神によって創造されたものとして理解する。ルネッサンス期の人々にとって、世界は万能の神が創造したものであるがゆえに、絶対的な摂理が内在しなければならないものであった。そして世界に神の定めた摂理が存在するというのであれば、そこには当然、神の計画した“人間の摂理”というものもまた存在していなければならないだろう。
またキリスト教では、人間を他の動植物と同じ被造物でありながら、同時に神の似姿を与えられた特別な存在としても理解する。とりわけルネッサンス期においては、こうした神の似姿としての人間が高らかに称揚され、そして理性こそが、その神性を体現するものとされたのである(16)。
われわれはここで思いだす必要がある。なぜ西洋近代哲学の創始者たちは、誰一人として目撃したことがないにもかかわらず、この世界には「本来の人間」が存在しうると確信できたのだろうか。
「本来の人間」とは、換言すれば「完成された人間」、あるいは「完全な人間」のことである。それを知るためには、われわれは本来「神の視点」に立たなければならない。この世界に内在する人間の摂理、それをわれわれが知るためには、環境や身体、他者によって規定された人間としてではなく――あるいは〈存在の連なり〉のなかで存在している〈この私〉としてでもなく――いわば神の立ち位置からそれを見通すことが不可欠だからである。
驚くべきことに、彼らはそれができると考えた。というよりも、それを知りうる能力こそ、神が与えた理性の力であると考えたのである。
人間が特別な被造物であるとするなら、人間存在にはやはり特別な使命や目的がなければならない。ならば人間に与えられた偉大な使命とは、理性を用いてその「完全な人間」の秘密を掌握すること、そして神の計画に相応しい「本来の人間」をこの地上に具現化させることであるはずだ、といったようにである。
要するに、「自由の人間学」に体現されていたのは、使命を帯びた被造物としての人間が、「本来の人間」=「完全な人間」の探求のなかで、いわば“自由”という名の秘密を発見したという物語なのである。
このことを踏まえれば、なぜ西洋哲学というものが、【序論】でも触れたように、絶え間なく「絶対的普遍主義」へと邁進していくのかということが理解できる。その背後にあるのは、この世界に絶対的な真理が存在するということへの強力な確信、そして人間はそれを掌握できるということへの揺るがぬ信念なのである。
そのように考えれば、いまなお西洋世界において散見される、絶対的な「正義」への確信や、そうした「正義」に基づく躊躇のない暴力の行使、あるいは「進歩という概念などイデオロギーに過ぎない」、「人間が存在することに特別な意味や目的などない」と聞いて、彼らが見せる意外なほどの動揺など、一連の事態がなぜ生じるのかということが分かる。
それは、おそらく「世界観=人間観」の基底において、彼らがいまでも同じ物語を共有しているからなのである(17)。
いずれにせよ、ルネッサンス期のキリスト教がもたらした「伝統」は、われわれが想像する以上に西洋世界の「世界観=人間観」に深く根を下ろしている。そしてそこには〈無限の生〉へと続いていく、いくつかの重要な着想が確かに含まれていたのである。
しかしその「世界観=人間観」が完成に至るためには、そこに新たな契機が必要であった。われわれが見てきたように、「完全な人間」の物語は、後にあらゆる「存在論的抑圧」から解放されていく個人の物語として再編されなければならない。
そしてその潜在力が本当の意味において開花するためには、〈社会的装置〉に紐づけされた諸々の科学技術によって、われわれの根源的な「意のままにならない生」の前提が、現実に掘り崩されていく時代を待たなければならないのである。
(3)〈無限の生〉の「無間地獄」 へ進む
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(6)ここでの「自由の人間学」とは、今日“自由主義(リベラリズム)”と呼ばれている政治思想の土台となった人間理解のことを指している。ロック、ルソー、カントといった人々は、ここで近代的な自由の概念を軸に、まさしくひとつの「世界観=人間観」を打ち立てたと言えるのであり、後のマルクス主義や「ポストモダン論」、あるいはコミュニタリアニズムに至るまで、共通するのは、いかにしてこの時代に確立した人間理解と向き合うのかという問題であった。なお、「自由の人間学」に対する本書の位置づけについては、【補論二】において詳しく論じた。
(7)例えばM・J・サンデル(M. J. Sandel)は、『リベラリズムと正義の限界』(Liberalism and the Limits of Justice, 2ed., 1998)の日本語版序文において次のように述べている。「負荷なき自我という観念に反対することで、我々の自己同一性を形成させる共同体や伝統を反省することは不可能であるとか、それらが要求するものを拒否することは全く不可能であると、示唆しようとしているのではない。私の議論は、むしろ、我々が反省するとき、状況づけられた、負荷ある自我として反省するのであり、自らの意向や愛着に優先して定義される自我としてではないということであり、また、道徳的熟慮をこのように理解することは、正義に関する論争に影響を与えるということである」(サンデル 2009:ⅲ)。
(8)増田敬祐は、ここでの「時空間的自立性」に相当する人間学的な前提のことを、「環境からの自由」と「環境への自由」という概念を用いて説明しようとしている。「環境からの自由」とは、人間存在が自らを規定する時間や空間の制約から解放されることを指しており、「環境への自由」とは、自然環境と社会環境の双方を含む「環境からの自由」を起点に、人間存在が自らの外的な環境世界に対して意のままに干渉することができることを指している。増田(2017:194、213)。【第七章:注38】も参照のこと。
(9)ルソー(2005b:207)、Rousseau(1966:41)。
(10)例えば、「民主的な政治機構」や「言論の自由」に代表される「政治的自由」は、基本的には人為的な制度の問題である。これに対して「存在論的自由」は、制度の次元を超えた存在そのもののあり方の問題であり、その意味において両者は本来区別されるべきものである。確かに十全な「政治的自由」のためには、自由な意志の妨げとなりうるものはなければない方が良いと思われるかもしれない。しかしおそらくこの発想こそが、「政治的自由」が「存在論的自由」へと拡張されていく最初の起点となる。後に見るように、制度の問題としての「政治的自由」は、必ずしも「存在論的自由」をその要件としているわけではない。なぜなら〈有限の生〉と向き合った結果として、「民主的な政治機構」や「言論の自由」が導出されるということは十分にありえることだからである。【注54】も参照のこと。
(11)カントの人間学的理想が体現されている、以下の文を再掲しておこう。「君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ」(カント 1976:86、Kant 2007:53)。ここでの格律(Maxime)とは、すでに述べたように、各々が自らに課している主観的な道徳原理のことを指しており、ここでは皆が主観的な道徳原理に従いながらも、常にその原理が普遍的に妥当なものになるよう努力することよって、われわれは人間集団全体として真に理性的で道徳的な世界に到達できる、ということが想定されている。したがって「意志の他律」は、ここでは最も未熟な意志のあり方となる。各自が「意志の自律」を達成していることこそが、あらゆる人倫の出発点となるのである。
(12)「精神は自由だ、という抽象的定義にしたがえば、世界の歴史とは、精神が本来の自己をしだいに正確に知っていく過程を叙述するものだ、ということができる。……世界史とは自由の意識が前進していく過程であり、わたしたちはその過程の必然性を認識しなければなりません」(ヘーゲル 1994:39-41、Hegel 1986:31-32)。
(13)【第八章:注30】で言及した、『資本論』からの引用部分を再掲しておこう。「自由の国は、窮乏や外的な合目的性に迫られて労働するということがなくなったときに、はじめて始まるのである。……社会化された人間、結合した生産者たちが、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合目的に規制し自分たちの共同的規制のもとに置くということ……この国のかなたで、自己目的として認められる人間の力の発展が、真の自由の国が始まるのであるが、しかし、それはただかの必然性の国をその基礎として、その上にのみ花を開くことができるのである。労働日の短縮こそは根本条件である」(マルクス/エンゲルス 1967:1051、Marx/Engels 1964:828)。
(14)「ゼロ属性の倫理」については【第七章:第五節】を、「積極的自由」については【第八章:第四節】を、〈他者存在〉から独立した〈自己存在〉が可能であるとする「本当の私」については【第七章:第五節】をそれぞれ参照のこと。
(15)キリスト教の教義の出発点は、唯一絶対的な神と、人々の罪を背負って死んだイエスをキリスト(メシア)と信じることにある。そこでは、人間は失楽園の原罪を背負い、目先の欲望に囚われて罪を犯してしまう弱い存在として位置づけられている。神の愛はそうした人間ひとりひとりにあまねく及ぶのであり、罪を犯した人間は悔い改め、隣人愛とともに正しく生きることが求められる。そして世界は終末へと向かい、正しく生きた人々は、再臨したイエスとともに神の国で生きられるとされている。後に触れるように、ここにあるのは〈無限の生〉ではなく、むしろ〈有限の生〉の「世界観=人間観」だったと言えるのである。日本聖書協会/共同訳聖書実行委員会(2006)、小田垣(1995)も参照。
(16)小田垣雅也(1995)は、こうしたルネッサンス期に生じたキリスト教自体の変化を、人間の思考の方向性という意味において、「神からの発想」から「人間からの発想」への逆転現象と表現している。
(17)本書では踏み込まないが、それにもかかわらず、この「世界観=人間観」が最も成功した分野がある。それは“科学技術”の分野である。【第一章】で触れたように、“技術”と“科学技術”は必ずしも同じものとは言えない。“技術”を持たない人間社会は存在しないが、“科学技術”を生みだしたのは西洋近代文明だけである。“技術”が職人的勘に基づく製作活動であるとするなら、“科学技術”は世界に内在する普遍的な原理を抽出すること、そして抽出された原理を用いて自然を予測/コントロールしていく行為を指している。“科学技術”をもたらした精神の背景には、世界に内在する摂理を正しく紐解いていくという宗教的情熱が深く関わっていたのである。両者の接点については、村上(1986)も参照。