ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「自由の人間学」 【じゆうのにんげんがく】


 「ここでの「自由の人間学」とは、今日“自由主義(リベラリズム)”と呼ばれている政治思想の土台となった人間理解のことを指している。ロック、ルソー、カントといった人々は、ここで近代的な自由の概念を軸に、まさしくひとつの「世界観=人間観」を打ち立てたと言えるのであり、後のマルクス主義や「ポストモダン論」、あるいはコミュニタリアニズムに至るまで、共通するのは、いかにしてこの時代に確立した人間理解と向き合うのかという問題であった。」 (下巻 159



 自由概念を中心に形作られている「世界観=人間観」のことで、ひとことで“自由”といっても、そこには人間をめぐるさまざまな形而上学的、認識論的前提が含まれていることを強調したもの。

 こうした前提として、具体的には「時空間的自立性」(人間が自らを取り巻くものごとに先立つ形で、ひとつの個的実体(主体)として存在しうるという想定)や「約束された本来性」(未だ現実には現れていないものの、実現することが約束された「本来のあるべき人間(社会)」が存在するという想定)が重要で、その背景にはルネッサンス期のキリスト教の影響がある。

 本書において重要なのは、もともと専制政治を批判し、それとは異なる政体を論じるための「政治的自由」を念頭においていた自由の概念が、個人の存在のあり方を論じるための「存在論的自由」の概念へと拡張され、このとき「意のままにならない生」の現実を理念によって塗り替えようとする〈無限の生〉の「世界観=人間観」への最初の扉が開かれたという認識である。

 J・J・ルソーを源流とする、「私が自由であること」と「他者が自由であること」の両立を図る高級な意思という着想(「積極的自由」)は、やがて〈自立した個人〉の人間的理想を導くことになるが、その第一の条件は、諸個人がその人自身を規定する外力(抑圧や権力関係)から解放され、「意志の自律」を達成することであると理解されてきた。この点が強調されると、自由は何より自発性、自由選択、「自己実現」の幅と可能性を極大化させることと同義になる。

 本書で描かれた中心的な逆接とは、〈関係性の病理〉〈生の混乱〉をもたらす〈自己完結社会〉の成立が、〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」という形で、自発性、自由選択、「自己実現」の極大化という意味では「意のままになる生」=「存在論的自由」の実現にまさしく寄与していることで、このことは〈自立した個人〉を筆頭とした一連の人間的理想が、本来性に由来するものではなく、〈社会的装置〉を含む何らかの舞台装置の介在によって人為的に創出されるものであること、それがまさしく理念によって現実を克服する「現実を否定する理想」の体現であることを物語っているとも言える。