用語解説
「世界観=人間観」 【せかいかん=にんげんかん】
- 「それは、われわれが世界や他者と対峙する際、あらかじめ獲得している根源的な理解の枠組み、すなわち「世界観=人間観」と呼べるものである。・・・・・・「世界観=人間観」は、われわれ自身が創りだしたものでありながら、同時にわれわれの認識や思考に先立って存在している。それゆえわれわれが行う判断や行動は、知らず知らずのうちに、そうした枠組みの影響を受けたものとなるのである。」 (下巻 109)
人間存在が何ものかを認識したり、思考、判断したりする際に、その前提として知らず知らずのうちに影響を受けている他者や世界に対する根源的な理解の枠組み(形而上学的・認識論的前提)のこと。
「環境哲学」(第一のアプローチ)に即せば、生物学的な「ヒト」が人間存在として現前するために媒介される(チューニングを受ける)〈人為的生態系〉=〈社会〉の一成分(「意味体系=世界像」)に相当し、「〈生〉の分析」(第二のアプローチ)に即せば、〈生活世界〉を成立させるための「生の舞台装置」=〈社会〉の一成分、「〈関係性〉の分析」(第三のアプローチ)に即せば、〈関係性〉や〈共同〉の負担を抑制し、円滑にしていくための〈間柄〉の体系や「〈共同〉のための意味」に相当する。
とはいえ、ここで焦点となっているのは、歴史的に構築され、人文科学やわれわれのうちに深く内面化されている「世界とはこうであるはずだ」、「人間とはこうであるはずだ」ということに関わる信念の体系のことである。
とりわけ本書では、西洋近代哲学を通じて拡大してきた、〈無限の生〉の「世界観=人間観」(目の前にあるこの世界の現実=「意のままにならない生」は、人間が思うあるべき形(「本来の人間」の形)の理念に相応しく改変されるべきであると考える)こそが、〈自己完結社会〉の成立を促進させていることが問題となり、それに〈有限の生〉の「世界観=人間観」(人間的な〈生〉には自らの意思によって変えられないものが存在し、それを肯定したうえでの「より良き〈生〉」を目指すべきだと考える)が対置される。
なお本書では、より根本的な意味においては、【補論二】で〈文化〉とは何かが改めて問われているように、こうした「世界観=人間観」を問題にするという方法論こそが、閉塞した人文科学を再生させるひとつの鍵である(「現代人間学」)とも考えられている。