ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「意のままにならない生」 【いのままにならないせい】


 「〈無限の生〉の「世界観=人間観」は、これらすべての原則に挑戦し、そのあらゆる否定の先にこそ「本来の人間」=「完全な人間」が現れると信じてきた。しかしわれわれがそれとは別の道を行くというのであれば、そこで求められるものとは、むしろ「意のままにならない生」の肯定となるだろう。すなわち〈有限の生〉とともに生きるということ、そこにこそわれわれの新たな出発点があると考えるのである。」 (下巻 130



 本書が提示する「人間的〈生〉」の根源原理を表現したもので、〈有限の生〉の「世界観=人間観」の中心に位置づくもの、また現実を理念によって塗り替えることを希求する〈無限の生〉の「世界観=人間観」の中心に位置づく「意のままになる生」と対置されるもののこと。

 それは〈存在の連なり〉を生きる〈この私〉〈自己存在〉が世界そのものと対峙する際に現前するものであり、その双璧として「意のままにならない他者」「意のままにならない身体」がある。人間存在はその始まり以来、こうした「意のままにならない生」と対峙し、その人間的現実を生きていくためのさまざまな意味や言葉を必要としてきた。

 〈思想〉とは、そうした「意のままにならない生」との格闘を通じて、人々が見いだしてきた意味や言葉が形となったものであり、〈哲学〉〈芸術〉も、その方法は異なるが、こうした〈思想〉を表現したものであるという点では変わらない。

 本書の主題となる〈自己完結社会〉の成立とは、〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉を通じて、この人間存在が決して逃れることができなかった「意のままにならない他者」と「意のままにならない身体」からわれわれが部分的に解放され(部分的に解放されることで、あたかも完全に解放されうるとの錯覚を引き起こす)、かえって「意のままにならない生」の現実を前にさまざまな困難に直面する事態である(〈関係性の病理〉〈生の混乱〉)。

 なお、こうした「意のままにならない生」を否定することなく「肯定」し、「〈有限の生〉とともに生きる」ことを受け入れていくことを、本書では〈世界了解〉と呼んでいる。