ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「より良き〈生〉」(「〈有限の生〉とともに生きる」) 【よりよきせい】


 「そこには、人間存在の〈救い〉など決してない。われわれが真に必要としているのは、〈有限の生〉ととも生きるということ、「意のままにならない生」を引き受けてもなお、より良き〈生〉を希求していくことの意味、そしてその道に至るための術だからである。」 (下巻 111



 自身が「時代」〈有限の生〉にさまざまな形で限界づけられていることを自覚しつつ、それでも卑下や「諦め」に屈することなく現実と対峙し、自らの負うべき「担い手としての生」を全うしようとすること。

 〈有限の生〉の五つの原則が示すように、人間の〈生〉は、現実問題として哀苦や残酷さに溢れている。この世の無常の前には、「正しく」生きることも、「善く」生きることも難しいのかもしれない。しかしそれでも、与えられた現実のなかで「より良く」生きようとすることはできる。

 「より良く」生きるとは何か、また何を行えば「より良く生きた」ことになるのか――このことに対する絶対的な回答は存在しない。なぜならひとりとりが置かれている状況、向き合うべき現実の形はそれぞれに異なるからである。

 われわれが〈存在の連なり〉を生きる以上、われわれは必ず何らかの形で「担い手としての生」を生きている。ここで問われているのは、ひとりひとりがそこにいかなる意味を見いだすのかということである。

 〈存在の連なり〉を生きることは、確かにそれ自体で残酷かもしれない。しかしその向こう側には、同じく〈有限の生〉を生きた人々の、そしてこれから〈有限の生〉を生きるだろう無数の生が存在する。

 いまここで現実と向き合う人々は、そうした数多の人々の「生き方やあり方」に触れることによって勇気づけられる(「生き方としての美」)。そしてこの現実のなかでわれわれが精一杯生き、行った選択や判断であるとするなら、たとえそれが後の時代から見て誤りや失敗として映ろうとも、ここで「より良く」生きようとした〈生〉の痕跡そのものについては、いつの日か後の人々が祝福してくれるだろうと〈信頼〉することはできるのである(「人間という存在に対する〈信頼〉」)。