ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「思念体」 【しねんたい】


 「それらはいずれも「思念体」のごとき「本来の人間」から出発し、そこから「意のままになる生」を夢想する物語であった。そしてその物語が具現化したものこそ、まさしく「〈ユーザー〉としての生」であり、その先にあるものこそが、〈自己完結社会〉に他ならなかったのである。」 (下巻 114



 〈無限の生〉の「世界観=人間観」のもと、自らの存在を規定するあらゆる外力からの解放(「存在論的自由」)を求めた先に、身体を完全に喪失して精神体のごとき存在となった理念上の人間の姿。

 〈自立した個人〉の思想や「ゼロ属性の倫理」をめぐる矛盾が体現するように、「自由の人間学」は、そのあるべき「本来の人間」の果てに、〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉を求めるようになり、〈自己完結社会〉の成立を通じて「意のままにならない他者」「意のままにならない身体」からの解放を促進していくことになる。

 ここでの「思念体」とは、「脳人間」をも超えて、さらにその行きつく先に待っているもののことを指している。

 とはいえ、「自由の人間学」に想定された「時空間的自立性」を想起すれば、そこでの人間がすでに、他の生物存在や、自然生態系、物質的な環境などを必要としていない、人間それ自体もまた死ぬことも、新たに誕生することも、世代交代をすることもない存在として描かれていたのであって、その意味では〈自己完結社会〉とは、この「自由の人間学」に内在していた“初期設定”を、まさに長きにわたって現実化させていく試みであったとも言える。