ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「時空間的自立性」 【じくうかんてきじりつせい】


 「その第一は「時空間的自立性」、すなわちそこで想定されている“人間”が、自らを取り巻く他者存在や意味体系といったものに先立つ形で、ひとつの個的実体、主体として存在しうるという想定である。・・・・・・と言うよりも、ここでの人間は・・・・・・他の生物存在も、自然生態系も、厳密に言えば物質的な環境でさえも必要としていない。それどころか、人間それ自体が死ぬことも、誕生することも、世代交代をすることもないのである。ここで人間の実体をなしているのは、あらゆる〈存在の連なり〉から独立し、身体さえも喪失した「思念体」のごときものだからに他ならない。」 (下巻 111-112



 西洋近代哲学における人間理解が体現された「自由の人間学」に含まれる前提のひとつで、人間の存在論的な実体が、環境や他の生物、他者といった外的なものに先立ち、また独立した形で存在しうるという想定。

 その究極的な形態は、身体をも完全に喪失した精神体のごとき「思念体」であり、そこにはすでに〈有限の生〉の第一原則「生物存在の原則」第二原則「生受の条件の原則」が無視されるという意味において、人間存在の現実との間に乖離が見られたと言える。

 ただしこの矛盾が深刻になるのは、「自由の人間学」が、当初想定していた「政治的自由」を論じる文脈(専制政治とは異なる政体のあり方を論じること)を超え、個々の人間存在が自らを規定している「存在論的抑圧」から解放されることを求めるものへと拡張されてからである。

 ここではまさしく自らの存在を時空間的に自立させる「存在論的自由」こそがあるべき「本来の人間」の姿だと見なされ、ひるがえって人間存在を規定するあらゆるもの(究極的には〈存在の連なり〉そのもの)が悪しき抑圧として認識されるようになる。

 そしてこれが「現実を否定する理想」であるところの〈無限の生〉の「世界観=人間観」のもとで希求されるが否や、人間存在は自らを規定するものを絶えず否定しなければならない「無間地獄」を引き起こすことになる。一連の矛盾は、「自由の人間学」から派生した〈自立した個人〉の思想や「ゼロ属性の倫理」などにもそのまま引き継がれている。