用語解説
「精神としての生活」 【せいしんとしてのせいかつ】
- 「ここから見えてくるのは、“生活”の概念には、衣食住などの必要を実現していく「暮らしとしての生活」と、それとは反対に、衣食住などの必要からむしろ離れるからこそ実践できる「精神としての生活」とも呼べるものがあるということ、そしてこれまで人文科学的な知において「人間的〈生〉」の本質とされてきたのは、あくまで後者の方であったということである。」 (上巻 146)
「人間的〈生〉」の実践を“生活”と呼ぶとき、衣食住などの必要からむしろ離れるからこそ実践できる、例えば観照活動や言論活動や自己実現(自己表現)などの側面を強調したもの。
西洋哲学の人間観においては、古くはアリストテレス、近代ではK・マルクスやH・アレントに至るまで、〈生存〉と結びついた「暮らしとしての生活」は軽視され、そこから解放されたところにある「精神としての生活」こそが〈生〉の本質であると考えられる傾向があった。
しかし本書の認識では、「〈生〉の三契機」において、〈現実存在〉の実現も、〈継承〉の実現も、その意味の文脈は歴然として〈生存〉の実現という契機に行きつくように、「精神としての生活」といえども、その根源的な意味の源泉は「暮らしとしての生活」にこそあると考えられている。