ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」 【ゆーざーとしてのじゆうとびょうどう】


 「最初に言えることは、われわれが今日、生の基盤を全面的に〈社会的装置〉に委ねているという事実、そしてこの〈社会的装置〉への高度な依存は、われわれがもはや、それなしには「生きる」ことを成立させられないほどに深いものであるということである。財とサービスだけではない。われわれが享受している自由と平等は、あくまで〈社会的装置〉によって実現された、〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」なのである。」 (上巻 53



 現代人は〈社会的装置〉が実現してくれる範囲で我慢することさえできれば、自らの力で〈生〉のあらゆる側面を一から組み立てていく負担から解放され、一定の自由と平等を享受することができる。しかしそれは、あくまで〈社会的装置〉に規定され、〈社会的装置〉に依存することによってはじめて実現される「自由」と「平等」であり、〈社会的装置〉の〈ユーザー〉となった人々ならではの「自由」と「平等」の形であるということ。

 本書では、この〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」の実現こそが、〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉と鏡の両面の関係にあることが強調されると同時に、西洋近代哲学において想定された普遍的な価値としての自由や平等が、実は究極的には〈社会的装置〉といった媒介物がなければ実現不可能なものだったのではないか(〈社会的装置〉に依存しない、あるいは〈社会的装置〉から解放された先にこそ、真の自由や平等がある、ということではなく)という含意が含まれている。