ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「意のままにならない身体」 【いのままにならないしんたい】


 「例えば〈生の脱身体化〉が人間存在の「意のままにならない身体」からの解放を意味するものだとすれば、〈生の自己完結化〉とは、人間存在の「意のままにならない他者」からの解放を意味するものだと言えるからである。つまり両者は、いずれも“身体”や“他者”といった、これまで人間存在が決して逃れることのできなかった〈生〉の諸前提から、われわれ自身が解放されるという点においては連続している。そして〈無限の生〉の理想からすれば、それらはいずれも「意のままになる生」という、人間の“あるべき形”が実現していくことを意味しているのである。」 (下巻 110



 〈有限の生〉の「世界観=人間観」の中心に位置づく「人間的〈生〉」の根本原理となる「意のままにならない生」のうち、「意のままにならない他者」と並んで双璧となるもの(それゆえ「意のままにならない身体」もまた、〈有限の生〉を「肯定」する〈世界了解〉の出発点となるものであると同時に、人間存在が〈思想〉を創出する契機(存在理由)となるものでもある)。

 われわれが持って生まれた性質や属性、親族などによって根源的な不平等を被るのも(〈有限の生〉の第二原則=「生受の条件の原則」)、生きていく限り、臭い、汚い、きつい、痛いといった苦痛や、怪我、病、障碍、老い、衰弱といったわざわいを味わうのも(〈有限の生〉の第一原則=「生物存在の原則」)、根底にはこの「意のままにならない身体」がある。

 〈自己完結社会〉の成立に伴って、「意のままにならない身体」は、科学技術の力を梃子にますます意のままになるものへと移行していくが(〈生の脱身体化〉)、それによって人々はこれまで自らの〈生〉を規定してきたさまざまな観念、価値、枠組みを喪失し、〈生〉のリアリティや生きる意味をめぐって混乱を抱えるとともに、目の前に残された「意のままにならない身体」の現実にかえって苦しめられることになる(〈生の混乱〉)。