ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈哲学〉 【てつがく】


 「〈哲学〉には、「普遍的な真理」の探究とは別のところで、やはり固有の役割がある……哲学には事物の理解に先立つ基礎概念の整備という役割があると述べたが、より厳密に言えば、基礎概念が有効なものとなるためには、諸概念の背景において、豊かな世界観や人間観が広がっていなければならない。つまり〈思想〉の表現たる〈哲学〉に求められる真の役割とは、基礎概念の整備を通じて、こうした“世界観”や“人間観”そのものを新たな形で提示していくことにあると言えるのである。」 (上巻 7



 〈思想〉の表現として理解された哲学のことで、とりわけ人文科学全体を下支えする基礎概念の整備と、「世界観=人間観」の提示(「現代人間学」の第三原則)を希求するもののこと。

 一般的に“哲学”とは、「普遍的な真理」の解明を求めることを指すと見なされ(こうした傾向は、西洋哲学史においてはギリシャ哲学に始まり、I・カント(I. Kant)を中心とした近代哲学において頂点に達し、「ポストモンダン論」による異議申し立てが行われるまで西洋哲学の中心的な位置を占めてきた)、具体的な実践としては、権威ある哲学者のテキストを読解したり、海外の新たなトレンドをいち早く国内に導入したりすることを指すと理解されてきた。

 しかし哲学の役割のうちで最も重要なことは、それが人文科学全体を支える“基礎概念”(文科学の実践においては、有効な基礎概念があるからこそ、われわれは現実のなかに対象を見いだし、何かを問題として切りだすことが可能となる――例えば、理性、自由、平等、権利、連帯、正義、権力、抑圧、資本主義、全体主義といった概念こそ、これまで人文科学において基礎概念としての役割を果たしてきたものであった)を整備するという点である。

 本書が求める〈哲学〉では、その役割をさらに突き詰め、われわれが世界や人間それ自身を理解し、認識するための“捉え方”の可能性をさまざまな形で追求する。

 すなわち「世界観=人間観」そのものを問題とし、新たな「世界観=人間観」それ自体の提示を最も重要な役割として位置づけている(こうした意味での創造性を重視する点が、本書の求める〈哲学〉、あるいは「現代人間学」とプラグマティズムとの違いである)。

 本書の理解では、〈思想〉とは、「意のままにならない生」を生きる人間存在が自らの現実と格闘し、〈世界了解〉を成し遂げていくための言葉や意味がひとつの体系をなしたものである。

 その意味においては、宗教も、〈哲学〉も〈芸術〉も、ある種の〈思想〉の表現として理解される。例えば芸術が、必ずしも言語を用いない〈思想〉の表現であるとするなら、〈哲学〉とは、逆に徹底的に言語を駆使したもの、とりわけ言語的に構造化された理論を駆使して〈思想〉を表現したものであると言えるだろう。