ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈無限の生〉の「ユートピア」 【むげんのせいのゆーとぴあ】


 「だが、次のように考えてみてはどうだろうか。もしもわれわれの苦しみが〈無限の生〉の敗北、つまり未だに残存する「意のままにならない生」との軋轢にあるのだとすれば、〈社会的装置〉と科学技術によって、〈有限の生〉の桎梏を完全に制圧してしまえばよいではないか。」 (下巻 124



 〈無限の生〉の「世界観=人間観」のもと、一歩、また一歩と目の前の現実を理念に近づけることによって、人々がかえって「意のままにならない生」〈有限の生〉の現実に苦しめられるとするなら(〈無限の生〉の敗北)、いっそのこと〈生の自己完結化〉と〈生の脱身体化〉を極限まで推し進め、「意のままにならない他者」「意のままにならない身体」からの完全解放を試みることはできないかということを、思考実験を使って論じたもの。

 本書では、遺伝子操作と人体改造によって究極の平等が実現した「究極の平等社会」の比喩、AI・ロボット化により自宅を一歩も出ることなく人生が完結できる「通販人間」の比喩、脳以外の身体を捨て、脳を文字通り情報機器に接続し、バーチャル空間(メタバース)内で人生を完結させる「脳人間」の比喩について取りあげられている。

 なお、この思考実験の結論は、脳さえ捨てて完全に情報機器の一部になるか(「思念体」)、「意のままにならない生」の現実が吹き出す前に自ら命を絶つことによって、われわれはついに完全な「意のままになる生」を実現することができるということ、ただしそのいずれの場合においても、人間はすでに、われわれが人間だと想像しうる存在ではなくなっているというものである。

 そしてこの結末がどれほど“グロテスク”に見えたとしても、これこそが、実はわれわれが〈自立した個人〉「ゼロ属性の倫理」「積極的自由」などを通じて思い描いてきた「本来の人間」が行きつく未来であり、「意のままにならない他者」と「意のままにならない身体」から逃れようとして、〈ユーザー〉という形で実現した「自由」、「平等」、「自律」、「共生」のなれの果てであるということが明らかにされる。