ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈救い〉 【すくい】


 「この時代に生きる、人間存在の〈救い〉とは何だろうか。それは〈世界了解〉を達成しようと格闘するなかで、「自己への〈信頼〉」へと至ること、そしておのれに与えられた〈有限の生〉を引き受け、運命が解放するその日まで、それを全うしていくということに他ならないと。」 (下巻 148



 人間存在にとって「意のままにならない生」の現実はあまりに哀苦と残酷さに満ちており、古の時代から人々は、その〈生〉の救いとなるものを求めてきた。

 それは言葉であったり、意味であったり、そうしたものが一つの形になった〈思想〉であったり、あるいはそうした〈思想〉が表現された宗教や〈哲学〉〈芸術〉であったりもした。その中心にあったのは、与えられた〈有限の生〉の現実を否定することなく一度は「肯定」すること、自身のできる精一杯のこと(「より良き〈生〉」)を為そうとしてしっかりと前を向き、現実と格闘していく〈世界了解〉の契機である。

 〈自己完結社会〉を駆動させる〈無限の生〉の「世界観=人間観」は、現実を理念によって制圧し、「意のままになる生」を実現することによって、〈世界了解〉を経ることなく、ある種の人間の救いに到達しようとした。

 しかしその試みは〈有限の生〉の現実によって必ず敗北する(〈無限の生〉の敗北)のであり、われわれにとって、人間存在の〈救い〉というものがあるとするなら、その契機はやはり〈世界了解〉のなかにしかない。

 つまり〈世界了解〉を達成しようとして格闘すること、そして〈存在の連なり〉に思いを馳せつつ、〈役割〉〈信頼〉〈許し〉の経験を積み重ねることよって「自己への〈信頼〉」と呼びうるものに至ること、われわれにできることは、そうして自身に与えられた〈有限の生〉を引き受け、運命が解放するその日まで、その「担い手としての生」を全うしていくことだけだからである。