用語解説
〈美〉 【び】
- 「〈美〉とは、例えばわれわれが何かの情景や芸術(作品)を捉えて「美しい」と感じるような、「鑑賞としての美」のことではない。ここでの〈美〉とは、もっぱら人間存在を対象とし、ある人々の〈生〉のあり方、あるいは自らの生き方をもって「美しさ」を論じる目なざしのことを指している。」 (下巻 148)
現代において“美”とは、一般的に何かの対象を捉えて、その美醜を評価する概念であると思われている。しかしそれは美というものを、特定の普遍的価値を体現した作品を鑑賞していく態度(「鑑賞としての美」)ものとで理解しているのであって、その根底には芸術=美=感性を三位一体とするような西洋美学(aesthetics)の存在が深くかかわっている。
これに対して本書が強調している〈美〉とは、人間存在の「生き方、あり方」に関わる「美しさ」の問題である(「生き方としての美」)。
われわれの〈美〉を取り巻く現状においては、美は日常実践のなかでは風景や容姿といった即物的なものに回収される一方で、いわゆる「現代美術」(contemporary art)がコンセプト主導によって「美的なものの範疇」それ自体をも破壊するに至ったため、われわれは無数の「美的なるもの」に取り囲まれていながら、その実「美そのもの」においてはしばしば恐ろしく空虚に見える事態(「美的アノミー」)に陥っている。
またそうした「鑑賞としての美」の氾濫のなかで、世界に「生き方としての美」を見いだす感性や目なざし(「不可視の間(あわい)を見通す目」)自体も窒息を余儀なくされる。とはいえ根源に立ち返れば、人間存在にとって〈美〉が重要な意味をもつのは、それが依然として人を動かす力を秘めたものだからである。
「生き方としての美」とは、「美しく生きる」ということであり、そうした〈美〉はわれわれが持つ「美しく生きたい」という願いに訴えかけ、自らの行いがはたして「美しい」ものだったのかと問い続ける力を持つ(「美意識」)。
われわれがある〈芸術〉(作品)を見て心を動かされるのは、そのインパクトの奇抜さによって圧倒されるからでも、コンセプトの真新しさによって知的に興奮するからでもない。そうではなく、その〈芸術〉(作品)のなかに、ある時代、ある境遇を生きたひとりの人間存在による、〈世界了解〉を成し遂げていく力強さ、〈世界了解〉を果たしえない哀苦の情、あるいは「美しく生きたい」というその人の願いを感受するからである。
「意のままにならない生」の現実は、ときにあまりに哀苦と残酷さに溢れており、われわれは自らの現実と向き合う気力を失い、卑屈と「諦め」とに耽溺してしまう。
そうしたときに、われわれが現実との格闘を投げだすことなく、踏みとどまっていられるとしたら、そうさせるのは、〈存在の連なり〉のなかで「意味のある〈関係性〉」によって結ばれた多くのものたちに恥じない生き方をしようとする、その人自身の人生に対する「誇り」であったり、また「誠実さ」であったりするだろう。
こうした契機は、われわれが「〈有限の生〉とともに生きる」ための術、自らの現実と対峙し「より良き〈生〉」を模索していくための重要な手がかりとなるものなのである。