用語解説
「鑑賞としての美」 【かんしょうとしてのび】
- 「西洋美学においては、美は、優美や崇高といった“美的範疇”に属する普遍的価値であると見なされ、それを喚起させるものこそが芸術(作品)であると考えられた。またそうした美は、知性や論理ではなく、感性によって理解されるとされ、ここから芸術(作品)を通じて普遍的な美そのものを感性的に掌握していく“美的体験”という主題が形成されていく。……こうして美の舞台は、およそ芸術(作品)やそれに準ずるものへの鑑賞活動へと収斂していき、「鑑賞としての美」こそが美学の標準となっていったのである。」 (下巻 149)
現代において主流となっている“美”に対する向きあい方であり、対象を、特定の普遍的価値を体現した作品と見なして鑑賞していく態度のこと。本書においては、何ものかに対して、そこに宿る人々の「生き方、あり方」を感受しようとする「生き方としての美」と対置される。
古代社会においては、一般的にこの二つの美のあり方はそれほど区別されていなかったが、芸術=美=感性を三位一体とするような西洋美学(aesthetics)が成立すると、「生き方、あり方」の問題は政治学や倫理学の範疇となり、美の問題とは切り離されて理解されるようになった。そしてその結果、美とはもっぱら「鑑賞としての美」のことを指すようになった。
20世紀には「現代美術」(contemporary art)の登場によって、芸術は、既成概念の破壊それ自体を目的とするようになり、「美そのもの」が解体した結果、「美的アノミー」とも呼べる事態を引き起こしている。とはいえ全体としてみれば、これは「鑑賞としての美」のなかで生じたパラダイム転換であって、美の現場がいまなお「鑑賞としての美」の寡占状態であることには変わりない。