用語解説
「美意識」 【びいしき】
- 「では、“美意識”とは何だろうか。それは突き詰めて言えば、その人自身の生き方そのものであると言える。それは「意のままにならない他者」や「意のままにならない身体」、そしてこの「意のままにならない世界」において、より良き〈生〉を求めて生きようとする、その人自身の構え方だからである。」 (下巻 151)
われわれの美に対する根源的な向きあい方を表す概念で、とりわけ「生き方としての美」の文脈においては、対象を通じて、そこに宿る人々の〈世界了解〉のありようを感受できる、その人自身の世界に対する構え方のこと。
われわれは対象を“作品”と見なして、客観的にその美醜を論じる態度(「鑑賞としての美」)に馴れすぎているが、それよりも重要なことは、美醜を論じているわれわれ自身の世界に対する向きあい方である。
人が創り上げた何ものか(あるいは人の手を渡って伝えられてきた何ものか)には、それぞれの時代、それぞれの境遇を生きたひとりひとりの人間にとっての、〈世界了解〉を成し遂げていく人間的な強さ、〈世界了解〉を果たしえない人間的な苦しみ、あるいは「美しく生きたい」というその人自身の願いが表現されている。
そこで問われてくるのは、それと対峙している自分自身の「生き方、あり方」そのものである。例えば500年前の名もなき詩人の言葉にさえ「美意識」を揺り動かされるとき、人々が想起するのは、〈存在の連なり〉の向こう側で懸命に生きたひとつの〈生〉、そしてそれがいまここにいる〈この私〉に届くまで、それを伝えてきた無数の人々の〈生〉の姿である(「不可視の間(あわい)を見通す目」)。
もしもその人に何らかの信じるところの道があるとするなら、人は時代に生かされていく自らの不完全さを覚悟しつつ、それでもおのれの信じた道を行くしかない。
われわれが同じ世界の現実と対峙している以上、その人が見いだした〈美〉の理解者は必ずどこかに存在しており、またたとえ命あるうちにそうした人間と出会うことができなくとも、いつの日かその人と同じ感情を背負うだろう人間がどこかに必ず生まれてくる(それはちょうど、その人が500年前の名もなき詩人と出会ったのと同じように)。
そのことを〈信頼〉しつつ(「人間という存在に対する〈信頼〉」)、自らの思う「生き方としての美」を全うしようと格闘すること、おろらくここに「芸術家」としての人間の生き方の原点がある。