ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「生受の条件の原則」(〈有限の生〉の第二原則) 【せいじゅのじょうけんのげんそく】


 「それはわれわれが人間である限り、自らの出生それ自体、そして生受に際して与えられた諸々の条件から逃れることができない、ということを指している。人は誰しも自ら望んで生まれてくるわけではない。生を受ける時代や場所、帰属する社会集団など、それらを選んで生まれてきたわけでもない。いかなる肉親のもと、いかなる境遇で、またいかなる性別、性格、才能、容姿を伴った身体のもとで生まれてくるのか、人間はそのすべてを選択することができない。それにもかかわらず、われわれはこの世に生を受けた限り、それらを生涯にわたって背負っていかねばならないのである。」 (下巻 131



 人間が人間である限り、自らの〈生〉において決して意のままにできないものであところの〈有限の生〉をめぐる五つの原則のうちの一つで、自らの出生それ自体、そして生受に際して与えられた多くの条件から逃れられないということ。

 西洋近代哲学においては、こうした根源的な不平等を克服した先にこそ「本来の人間」が実現すると考えられ、ある面においては、われわれはそのためにこそ〈社会的装置〉を発達させてきたとも言える。

 確かに現実の格差や不平等は、現代を生きるわれわれの価値観からしてあまりに過剰なものとなっており、是正していくことが求められる。しかし、「存在論的自由」の理念が求める根源的な不平等そのものについては、人間的世界に“差異”というものが存在する限り、絶対になくなることはない。

 したがって、「〈有限の生〉とともに生きる」こと、すなわち〈有限の生〉を「肯定」するということは、格差や不平等の実践的な是正という文脈とは切り離す形で、差異そのものが存在する人間的世界そのものをある面では受け入れ、自身が与えられた「生受の条件」を受け入れていくということを意味している。

 ここで問われているのは、たとえ実践的な平等化の試みがたとえどれほど実現した世界であったとしても、人間的世界には決して埋めることのできないものがあるということ、そして自らの意思ではないにもかかわらず、同時に自らの存在の礎となるものに対して(「意味のある関係性」〈自己存在〉)、われわれがいかにして寄り添い、そこから「より良き〈生〉」のための糸口を見いだすことができるのかということである