ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「自殺の権利」 【じさつのけんり】


 「この、あまりにあっけない「脳人間」の最期。とはいえここには、究極の〈自己完結社会〉が直面するだろう、もうひとつの重要な論点が示唆されている。それは、〈自己完結社会〉が進行すればするほどに、人々は自らの〈生〉を終わらせる権利、すなわち自己決定の最終形態とも言える「自殺の権利」を求めるようになるということである。」 (下巻 126-1272



 〈無限の生〉の敗北を超克するために、いっそのこと〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉を極限まで推し進め、「意のままにならない他者」「意のままにならない身体」からの完全解放を試みる思考実験のひとつで、「意のままになる生」を求める人々が行きつく、究極的な自発性と自己決定の発露で、自らの命を自らの意志によって終わらせる権利のこと。

 脳以外の身体を捨て、脳を文字通り情報機器に接続し、バーチャル空間(メタバース)内で人生を完結させる「脳人間」は、生きる意味を見いだせなくなり、迫り来る退屈と虚無に耐えられなくなってこの権利を行使する。

 しかしそこまで行かなくても、〈存在の連なり〉から自立した「自分だけの世界」を生きる人々、「意のままになる生」こそが「正常」であり、「意のままにならない生」は「非正常」であると認識する人々からすれば、自らの所有物たる自らの命を自分で終わらせられないことは、きわめて理不尽なことである。

 身体を持つ存在であるがゆえに、さまざまな理由から「現実のこの私」が「こうでなければならない私」から乖離しはじめるとするなら、いっそのこと「意のままにならない生」の現実が吹き出してくる前に自ら命を終わらせてしまえば、事実上「意のままになる生」を生きられたことになる。〈自己完結社会〉においては、こうした経緯で人々は「自殺の権利」を求めるようになる。