ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「殺生嫌いの寓話」 【せっしょうぎらいのぐうわ】


 「要するに、現実の外部にあったはずの理念が、ある面では実現してしまうのである。こうして彼らは、いつの日か本当に、自らがその約束の地へとたどり着けるような気がしてくる。しかしそのことによって、かえって彼らは苦しめられるのである。夢が叶った「若者」は、今度は微生物を犠牲にすることに耐えられなくなる。機械の右腕を手に入れた「先生」は、今度は左腕が、あるいは脚が、熱鉄を受けつけないことに耐えられなくなるからである。」 (下巻 123



 「現実を否定する理想」であるところの〈無限の生〉の「世界観/人間観」が人間的な〈生〉の現実との間で「無間地獄」に陥る様子(〈無限の生〉の敗北)を寓話として表現したもので、ここでは人間を他の命を傷つける悪しき存在であると考え、一切の殺生を禁じようとした「若者」が、どう足掻いても「他の命の犠牲を伴わない人間の生などありえない」という現実を受け入れられないことによって、次第に行き詰まっていく様子が語られる。

 ここでの、他の命を犠牲に成り立つ人間の現実とは、まさしく〈有限の生〉のこと表している。たとえ科学技術を駆使して微生物の力でフェイクフードを創出し、それによって動物も植物も殺さずに済んだとしても、今度は微生物を殺すという事実が避けられないことに気づかされる。

 このことは、われわれが科学技術や〈社会的装置〉を媒介として、「存在論的自由」、あるいは〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉をある面では実現してしまえること、しかしそれが実現することによって、かえってわれわれは決して消えることのない「意のままにならない生」の現実に苦しめられることを表している。