用語解説
「皇帝の寓話」 【こうていのぐうわ】
- 「「皇帝」の事業は確かに偉大であった。それでも晩年において、彼の心は荒廃し、そこには一切の平穏がなかったと言える。「皇帝」は、死すべき自身の運命を憎み、そうした運命を与えた天を憎み、そして自らを忌み嫌う周囲の人々を憎みながら死んでいった。そこにはおそらく、人間の〈救い〉はなかったのである。だが、この「皇帝」の苦しみは、言ってみれば自縄自縛の苦しみではなかっただろうか。それは「意のままにならない生」の現実を否定し続けた、あの「皇帝」が自ら招いたものだったからである。」 (下巻 141-142)
目の前にある「意のままにならない生」の現実を、人間が思うあるべき形に改変すべきであると見なす〈無限の生〉の「世界観=人間観」が、決して人間の〈救い〉をもたらさないことを示した寓話で、ここでは〈有限の生〉の否定が、永遠の命を求めるひとりの「皇帝」に喩えられる。
「皇帝」は人々が羨むものをすべて手にしていながら、またその手で誰もがなしえない偉業を成し遂げていながら、それでも結局は苦しみに満ちた最期を遂げた。しかしその苦しみの理由は、人間が人間である限り絶対に避けられない現実を否定するからこそ生じたものである。
つまり「皇帝」が、この私が老いて死ぬなどという現実は絶対にあってはならない、などというあるべき理念を掲げたがゆえに、自縄自縛の苦しみに陥っているのである。そしてその理念を強く信じれば信じるほど、苦しみの度合いは深くなる。
問題は、「存在論的自由」を通じて「意のままにならない他者」や「意のままにならない身体」からの解放を求めるわれわれ自身も、同じような自縄自縛の苦しみに陥っているのではないかということである(「本来の人間」、「こうでなければならない私」)。