ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「人間に対する〈信頼〉」 【にんげんにたいするしんらい】


 「これら三つの「信頼」には、重要な共通点があるだろう。それはいずれの「信頼」も、経験的な慣れや日々の習慣を通じて獲得されてきたものであり、いずれの「信頼」も、具体的な人格を想定しない「非人格的な信頼」であるということである。これに対して「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈信頼〉は、こうした「信頼」とはまったく異なる要素を含んでいる。なぜならここで問われているのは「人間に対する〈信頼〉」であって、そこではあくまで人格的な要素が問題となるからである。」 (上巻 268



 「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈信頼〉の原理について、とりわけそれが「非人格的な信頼」と区別されるときに用いられる表現。

 信頼概念は、社会学では、N・ルーマン(N. Luhmann)による「複雑性」(Komplexität)の縮減という形でよく知られている。つまり人間は、あまりに複雑で無数の可能性に満ちた世界ではいかなる判断も行動も取ることはできないため、間違ったり裏切られたりするといった一定のリスクを負いつつも、敢えて何ものかを「信頼」することによって、可能性の幅を縮小させ、目の前の状況を判断し、行動することができるようになる。

 この規定に従うならば、例えば明日も太陽は東から昇る(「素朴世界に対する信頼」)、自分が侮辱的だと理解している言葉を相手もまた同様に感じる、自分が信号機の赤を“止まれ”と理解するように他人もまた同様に理解している(「共有された意味に対する信頼」)、設定した目覚まし時計のアラームが翌朝鳴る(「機能に対する信頼」)といった信念もまた、ある種の「信頼」として定義できることになる(こうした「信頼」の形態は、特定の人格を想定してなくても成立するという意味において「非人格的な信頼」と呼ぶことができるが、その意味では「人間的〈関係性〉」における〈間柄〉は、「〈関係性〉の形式化」という面において、ある種の「非人格的な信頼」を形作るとも言える)。

 しかし本書が問題にしているのは、あくまで「意のままにならない生」を生きる人間存在が、いかにして「意のままにならない他者」とともに「共同行為」としての〈共同〉を実現することができるのかという問題であり、ここでは人格的な存在との信頼の形が問われることになる。