ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

人類史における「連続性」/「非連続性」 【じんるいしにおけるれんぞくせい/ひれんぞくせい】


 「古の時代に人間存在が「社会的なもの」を生みだし、世代を越えてそれを継承していく能力を獲得して以来、その営為は数100万年にわたって繰り返されてきた。〈自己完結社会〉とは、ある意味ではそのひとつの到達点とも言えるものなのである。とはいえわれわれは、それを単なる“連続性”のもとでのみ理解することで十分なのだろうか。……われわれは〈自己完結社会〉の成立という事態に対して、やはりある種の“非連続性”もまた想定しておく必要があるのである。」 (上巻 123



 〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉を伴う〈自己完結社会〉の成立が、人間の本性に結びついたある種の必然性を伴ったものなのか、あるいはある種の偶発性によってもたらされた異常状態、ないしは病理状態(疎外された状態)なのかをめぐる論点のこと。

 本書の立場は、たとえ〈自己完結社会〉の成立が、どれほど人間的に異常な事態に見えたとしても、それは「人為的生態系」としての〈社会〉を創出し継承させてきた人間の営みの延長線上においてある種の必然性を伴っていること、しかし同時にその存在様式の変容は、人間の定義、人間の概念が根底から覆されるほどの大きなものであるという点で、現代のわれわれにとってはやはりある種の「異常」や「病理」を含んだものとして理解される、というものである(吉田健彦が言う「必然的異常社会」を想起(吉田健彦『メディオーム――ポストヒューマンのメディア論』共和国、2021))。

 余談となるが、もしも「人為的生態系」としての〈社会〉の蓄積が、道具の製作にまで遡れるとするなら、そのサイクルが開始されたのはホモ・サピエンスの成立以前ということになり、ホモ・サピエンス以外の古代人類もまた、それぞれの形で〈環境〉の「二重性」を備え、独自の形で〈社会〉の蓄積を行っていたことになる。例えば3万年前に絶滅したホモ・ネアンデルターレンシスが現代も生存していたとするなら、その存在様式がどのようなものになっていたのか、大変興味をそそられるところである。