ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈故郷〉 【こきょう】


 「「第二期」を生きた人々には、おそらくこうした〈旅人〉としての条件がすべて備っていた。まず、彼らにとっての「母港」とは、多くの場合“故郷(ふるさと)”と呼ばれるものを指していた。出稼ぎ労働者たちにとっては、それは文字通り自らを育んだ故郷の大地を意味しただろう。だが、都会へ出た若者たちが涙とともに想起したのは、大地の記憶のみならず、そこでともに過ごした人々との記憶であった。彼らにとっては、そうした記憶の総体こそが、いわば自己の原点となりうる〈故郷〉だったのである。」 (下巻 24



 「〈生活世界〉の構造転換」のうちの「第二期:戦後復興から高度経済成長期まで(1945年‐1970年)」において出現した〈旅人(世代)〉に共有されていた概念で、夢や理想を希求するに当たって、自らの存在の起点となるもののこと。

 この時代、例えば都会に旅立った出稼ぎ労働者たちにとっては、〈故郷〉は、文字通り未だ素朴さが残る故郷の大地や人々の姿であった。ただしそれを自らの存在の起点となる記憶の総体として捉えるのであれば、他にも苦労を重ねて死んでいった両親の記憶、多くの夢を託す形で送りだしてくれた人々の記憶、敗戦まもなくの人々にとっては、戦争に対する悔恨そのもの、運動期の人々にとっては、戦後的理想にあらゆる希望を託した前世代の存在そのものが、ある面では〈故郷〉になりえるものであった。

 重要なことは、人間存在がその〈故郷〉離れながらも、自らの夢や目標と格闘する歳には常にその〈故郷〉を心理的に携えていること、そしてその格闘に疲弊した際には、たとえ物理的に帰還することができなくとも、その存在の原点(「母港」)に心理的にも立ち返ることができるということである。

 なお、この〈旅人(世代)〉と対置されるのが、生まれながらに〈故郷〉を持たない〈漂流人(世代)〉である。