ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「むき出しの個人」 【むきだしのこじん】


 「ところが現代社会においては、「〈生〉の舞台装置」は〈社会的装置〉という形で現前する。そのため〈社会的装置〉を媒介としない局面においては、〈ユーザー〉同士は、互いをつなぎとめる社会的な意味の文脈を一切持たない、文字通り純粋な個人として――それはいわば増田敬祐の言う「むき出しの個人」として――対面せざるをえなくなる。」 (上巻 184



 増田敬祐が「時代に居合わせる人間と思想――〈存在の価値理念〉についての人間学的考察」(『現代人間学・人間存在論研究』大阪府立大学環境哲学・人間学研究所、第1号、93-157頁、2016)において用いた概念で、本書では、〈社会的装置〉を媒介としない〈ユーザー〉同士が関係性を構築することの困難さを説明する際に用いられる。

 こうした関係性は、「〈関係性〉の分析」(第三のアプローチ)では、〈間柄〉が不在となった〈関係性〉として位置づけられることになる。
 

 「それゆえにむき出しとなった「個人」は倫理や作法を会得することなく、目指されるべき己の〈内面的自発性〉に依拠するのみで他の〈むき出しの個人〉と関わらなければならない。それは人間存在にとってむき出しのままであるがゆえに傷つけ合い、共有するものを持たないなかで手探りの関係を築いていかなければならないことを意味する」 (増田敬祐 2016:122-123)。

 なお、増田の「むき出しの個人」概念は、現代社会において自立した個人になり損ねた人々が、「生存のための互助機能を持たない人間存在が現行システムからこぼれ落ちること」(増田 2016:122)をも含意している。