ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「「共同行為」の失敗に対する〈許し〉」 【きょうどうこういのしっぱいにたいするゆるし】


 「とはいえ〈共同〉において〈許し〉が最も問われるのは、「共同行為」の参加者が、何かに“失敗”したときである。円滑な〈共同〉を実現するためには、人間は失敗した相手を許すことができなければならない。むしろそうしたときにこそ、相手に手を差し伸べる度量があることが、個人としても、集団としても試される。」 (上巻 272



 「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈許し〉の原理の一形態で、「共同行為」に参加する他者に対して、過失を許すこと。

 一般的に互いを〈許す〉ことができる集団は、それを通じて〈信頼〉(「集団的に共有された人間一般に対する〈信頼〉」)さえも育むことができるが、逆に互いを〈許せ〉ない集団は、誰もが失敗を恐れるようになり、誰もが負担を積極的に担おうとはしなくなる。そして結局、〈共同〉の持続性は損なわれてしまう。

 というのも人間的な〈生〉においては、日々予測不可能な事態が到来し、いかなる人間も必ず失敗するときが来るからである(〈有限の生〉の第五原則=「不確実な未来の原則」)

 とはいえ〈許し〉には〈許し〉の作法があり、人を〈許す〉ということは、「博愛主義」のように、他人に奉仕していくことを意味しない。無制限に〈許し〉がある環境においては、人間は相手を不用意に見くびるようになり、その結果かえって人々の〈信頼〉は破壊されるからである。

 また現代社会においては、他者を〈許す〉ことがますます難しくなってきている。その背景にあるのは、誰もが他者から許されることを信じていないために、誰もが他者を許すことができない、そして誰もが他者を許さないために、誰もが他者から許されることを信じられずにいるという形での悪循環である。