ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「(集団的に共有された)人間一般に対する〈信頼〉」(「結束に基づく〈信頼〉」) 【にんげんいっぱんにたいするしんらい】


 「ただし、こうした個人による〈信頼〉の努力には限界がある。そこで必要とされるのが「集団的に共有された人間一般に対する〈信頼〉」、すなわち世間や同時代をともに生きている、人格を持った人間そのものに対する一般的な信頼である。……もちろん人間の世界において、「素朴な〈悪〉」というものが消えることはないだろう。それでもそうした環境を造りだす意思を共有し、継続していくことこそが、人格を持った人間それ自体への信頼を高める。そして結果的には、〈共同〉の持続性をも高めることになるのである。」 (上巻 270-271



 「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈信頼〉の原理の一形態で、「具体的な他者に対する〈信頼〉」が特定の他者との間に結ばれるものであるのに対して、特定の範囲の人格的な集団との間に形作られるもの。

 最も分かりやすいケースでは、特定の目的(「〈共同〉のための意味」)を共有した集団が、その集団の構成員に対して抱く〈信頼〉である(「結束に基づく〈信頼〉」)。こうした〈信頼〉は、構成員同士の「共同行為」を円滑にさせ、集団の秩序に貢献するが、不用意な「結束」はときに暴力を生み、とりわけそこに「素朴な〈悪〉」が入り込むとき危険なものともなる。

 また、例えば昭和期までの日本において、「困ったときはお互い様」、「それがものの道理というもの」、「それは人としてやってはいけない」といった言葉が地域社会の隣人同士で共有されていたのは、隣人同士の〈共同〉の経験が世代を超えて積み重ねられてきた結果であり、集団的に共有された〈信頼〉の一形態であるとも言える(ただしここでの〈信頼〉の根拠が、特定の人格的な他者に依拠することよりも、集団の構成員であるという事実や、集団に共有された意味や価値規範に比重があると考えれば、「消極的な〈信頼〉」と表現することもできる)。

 なお、こうした〈信頼〉を「人間一般に対する〈信頼〉」と呼ぶ際には、やや注意が必要となるかもしれない。なぜならこうした〈信頼〉は、基本的に特定の集団の構成員に対して形作られるものであり、必ずしも集団外の人間をも含む形において、文字通りの意味で人間一般を〈信頼〉するものではないからである。

 とはいえ身近な他者に対するこうした〈信頼〉の経験が、他者を〈信頼〉するための基本的な土台を形作る重要な要素となるという側面もある(例えば幼少期に〈信頼〉できる大人や社会関係に恵まれずに育った人々は、しばしば成長後にも容易に他者を〈信頼〉できず、社会関係に困難を抱えることがある)。