ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「普遍性」(限定された意味での) 【ふへんせい】


 「本書の言う「強度を備えた〈思想〉」とは、〈思想〉を紡ぐものたちが、自らに与えられたさまざまな〈有限の生〉の限界を引き受けつつも、人間存在の本質について肉薄し、それぞれの形でそれを言語化したもののことを指している。それは唯一絶対的なものとしては収斂しないが、同じ時代を共有する人々、あるいは後の時代に同じように現実と格闘する人々に対して、何らかの意味を喚起することができるだけの強度、その意味においての「普遍性」は備えている。」 (下巻 206



 人間存在が創造する〈思想〉は、それを紡ぐものが「時代」やさまざまなものの限界に基礎づけられている以上(「不確実な未来の原則」=〈有限の生〉の第五原則)、厳密な意味での絶対的な「正しさ」に到達することはできない。とはいえ、そこには特定の時代や境遇を生きた人々が共通して直面していた、限定された意味においての「普遍性」が含まれているということ。

 例えば矛盾する二つの言説があるとき、「絶対的普遍主義」の立場から言えば、どちらかが間違っているか、両方とも間違っている(未発見の正しい真理がある)ということになる。しかしここで重要になるのは、いずれの言説もその「時代」を生きる人々にとっては、そうした言説が出現してくる何らかの必然性があるのであって、そこには同時に人間存在の本質に関わる何ものかが必ず含まれているということである。

 その意味においては、いかなる人間も特定の「時代」や属性、役割、立場といったものに埋め込まれている以上、たとえある一人の人間が何事かを直感したということであても、その直感には個人を超えた何らかの必然性が内在しているとも言える。

 つまりいかなる〈思想〉であったとしても、それが誕生したことには理由があるのであって、そうした意味において、「個人的なことは「普遍的」なことであり、「普遍的」なことは個人的なこと」なのである。