ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「人間の〈悪〉とわざわいの原則」(〈有限の生〉の第四原則) 【にんげんのあくとわざわいのげんそく】


 「それはわれわれが人間である限り、人間的な〈悪〉がもたらすわざわいに直面すること、そしてその問題に対処していくことが求められる、ということを指している……人間的世界には、よこしまな「情念」、「悪意」、「不誠実」といった「素朴な〈悪〉」が存在している。こうした〈悪〉は、たとえ発端がつまらぬ諍いであったとしても、対処を怠れば、決断の混迷、事業の停滞、無益な破壊といったさまざまなわざわいをもたらすことになるだろう。そのためわれわれは、こうした〈悪〉が集団に蔓延ることがないよう常に気を配っていなければならない。互いに結束し、協力していくことが求められるのである。」 (下巻 134



 人間が人間である限り、自らの〈生〉において決して意のままにできないものであところの〈有限の生〉をめぐる五つの原則のうちの一つで、人間的な〈悪〉がもたらすわざわいから逃れられないこと、またその問題に対処していくことが求められるということ。

 西洋近代哲学においては、どこか抑圧や不平等といった社会の歪みさえ取り除き、無知や無理解や無教養さえ啓蒙されれば、人間の〈悪〉は撲滅できるかのように語られてきた側面があった。しかし人間に内在する「素朴な〈悪〉」は、無知や価値判断に由来するのではなく、誰もが持つ人間的な感情の複雑な帰結として出現するものである。

 そのためわれわれは〈悪〉の蔓延を防ぐことはできても、それを滅ぼすことなど決してできない。したがって、「〈有限の生〉とともに生きる」こと、すなわち〈有限の生〉を「肯定」するということは、自身もまた〈悪〉の種を携えた存在であるとの自覚に立ち、いつの日か降りかかるだろうわざわいを覚悟していくということを意味している。

 その点から言えば、権力の存在そのものが悪なのではなく、それは「より良き〈生〉」のために、われわれが不断の努力によって創出し続けなければならないものであるとも言える(権力の形にはさまざまなものがありえ、またその形によって、しばしば〈悪〉に汚染されるということが問題なのである)。