『〈自己完結社会〉の成立』(上巻)
【第二章】人間学の“亡霊”と〈自立した個人〉のイデオロギー
(1)〈自立した個人〉というイデオロギー
さて、【第一章】では、われわれが生きる「理念なき時代」と、そこで人間存在が直面している〈生の自己完結化〉、〈生の脱身体化〉という事態の内実について見てきた。【第二章】で見ていきたいのは、「20世紀」の終焉とともに解体した人間の理想とはいかなるものだったのか、そしてその人間学ではなぜ、一連の事態を説明することが困難なのかということである。
われわれがここで問題にしようとしている人間の理想、それは端的には〈自立した個人〉という概念によって集約することができる。【はじめに】でも触れたように、本書において〈自立した個人〉とは、人間の本質を個人に見いだし、それぞれの個人が何ものにもとらわれることなく、十全な自己判断/自己決定を通じて意志の自律を達成しているという人間の状態、そしてそうした状態を人間の究極の理想と理解する、ひとつの人間学でありイデオロギーとして定義されるものである。
後述のように、この概念の根底には確かに西洋近代哲学が創造した「自由の人間学」というものがある(1)。しかしわれわれにとって重要なことは、それがわが国固有の歴史的文脈においていかにして語られ、とりわけ戦後日本において、なぜそれが、人間をめぐる基本的前提を形作るほどの圧倒的な意味を持ってきたのかということである。われわれはまず、この点について確認する必要があるだろう。
わが国において〈自立した個人〉の最初の形態が現れるのは、明治期の知識人の言説においてである。例えば福沢諭吉の「一身独立して、一国独立する」という言葉のなかには、幕藩体制を解体し、近代国家を樹立した当時のわが国の社会状況が反映された、ある種の〈自立した個人〉の姿があるだろう(2)。
ここに込められていたのは、わが国が諸外国と対等に渡り合い、国民が国家を運営していくためには、ひとりひとりが身分の差なく「独立」の気概を持たねばならないという主張であった。
大正期末から昭和初期になると、共産主義を掲げたソ連の出現を契機として統制経済や国家社会主義が脚光を浴び、“個人”を掲げる主張はいったん衰退していく(3)。しかし〈自立した個人〉の概念は、戦後において決定的な意味を持って再生することになるのである。
このとき最も重要な提起を行ったのは丸山眞男であろう。まず丸山は、自身の戦争体験にも基づきながら、日本社会のいったいどこに一連の悲劇をもたらした深淵があったのかを問題とした。丸山がそこに見いだしたのは、天皇を頂点とした「無責任の体系」、すなわち軍や官僚だけでなく、日本国全体を覆い尽くす形での、倫理的主体性が欠落したセクショナリズムと独善主義の蔓延であった(4)。
ここから丸山は、わが国が再出発するにあたって肝要なことは、まずもってわれわれが個人としての“主体性”を確立し、自由な認識主体としても、倫理的な責任主体としても、そして秩序形成の主体としても自立することであると主張するに至るのである(5)。
戦後に再生された〈自立した個人〉の概念には、このように昭和初期の社会に対する激しい悔恨と自省、そしてまったく新しい世界秩序のなかで、いかにして国家を再建するのかという現実的な問題が結びついていた。そしてこのとき以来、わが国では「戦前」と「戦後」という対抗軸がそのまま“暗黒の過去”と“希望の未来”として一般化され、それがさらに(克服すべき)前近代的人間世界と、(達成されるべき)自立した個人による新しい人間世界という二元論として拡張されていくのである(6)。
実際丸山は、「無責任の体系」の根底にあるものを、近代国家の建前の表層下に依然として充満している日本社会の「前近代性」として理解していた。すなわち「同族的紐帯と祭祀の共同、『隣保共助の旧慣』、内部で個人の析出を許さず、決断主体の明確化や利害の露わな対決を回避する情緒的直接的=結合態(7)」として理解される当時の人間世界は、ここでは〈自立した個人〉と対立し、その試みによって克服されるべきものとして位置づけられていたのである(8) 。
確かに60年代になると、丸山ら戦後初期の知識人たちは、エリート主義や権威主義を象徴するものとして批判される側となった(9)。しかし丸山に見られた認識の枠組み、すなわちわれわれは日本社会の「前近代性」を克服せねばならず、そのためにはまずもって人間が個人として自立しなければならないという思想そのものは、高度経済成長期を迎えた当時の社会において着実に浸透していったのである。
ここで再び「20世紀」の高度経済成長が、人間の消費可能な物質の量と規模の著しい拡大、そして戦間期には限定的だった都市型ライフスタイルの大衆化として歴史的な意味を持っていたことを想起してほしい。注目すべきは、このとき時代がもたらした社会的現実と〈自立した個人〉のイデオロギーとの間にあった深い整合性である。
例えば転換期の世代にとって、日本社会は一方では故郷や両親に体現される“旧式”の生活世界と、他方では自由と若さと潜在力とに彩られた“新式”の生活世界として二重の様相を帯びていたはずである。このとき彼らが自らを、「旧世界」からはじめて解放され、「新世界」を切り開く命運を与えられた当事者であると自認するとき、人間の本質を個人に見いだし、その理想的なあり方を問題とする〈自立した個人〉のイデオロギーは、きわめて高い真実性を備えているように見えたと言えるのである(10)。
それから半世紀、確かに日本社会はさまざまな変化に直面し、思想の流行においてもさまざまな変化がもたらされた。オイルショックからバブル崩壊を経た社会的動揺のなかで、例えば“二重世界”は「旧世界」の消滅という形で解消されていき、人間自身も現代的ライフスタイルを自明とする世代へと交代していった。
しかし今日に至るまで、丸山世代が創造し、戦後社会が育てあげた〈自立した個人〉に代わる人間学は、本質的な意味においては、ついにわが国では形成されなかった。〈自立した個人〉の思想は、全体主義への警鐘、「かけがえのない個人」、そして関係性や規範に潜む存在論的な抑圧や権力構造からの解放といった通路を通じて、その後も戦後社会の通奏低音として生き延び続け、そしていまや「理念なき時代」のもうひとつの“亡霊”となったのである(11)。
(2)〈自立した個人〉をめぐる根源的な矛盾①――約束されたシナリオと「20世紀」
それではこの〈自立した個人〉というイデオロギーのどこに問題があったのだろうか。最初に注目したいのは、そこには人間存在が「自立」するために必要な“三つの条件”、そしてそれが実現へと至るための“ひとつのシナリオ”が想定されていたということである。
まず三つの条件とは、個人の「自立」のためには、①自己判断/自己決定の障害となる社会的制約および強制力は取り除かれなければならないこと、②自己判断/自己決定を行う条件は平等に与えられなくてはならないこと、③自己判断/自己決定が他者の自由や社会(公共の福祉)との調和を体現したものとなるよう個人は成熟しなければならない、ということであった。
そして約束されたシナリオによれば、これらの条件のうち、最初の二つさえ達成できれば、最後のものは鍛錬次第で自ずと達成されていく、ということになっていたのである。
こうしてみると、この半世紀もの間、われわれはこうした条件の達成に向けて着実に努力を重ねてきたということが分かる。高度経済成長は「自立」のための経済的基盤を提供し、拡充される社会福祉はそうした基盤を万人に行き渡らせる役割を果たしてきた。そして「個人として自立せよ」というメッセージは全社会的に繰り返し発信され、いずれの世代もそうした価値の内面化を体験してきたようにである。
しかし問題は、このうち第一条件と第二条件が――主として市場経済と官僚機構の高度化によって――着実に達成されてきたにもかかわらず、第三条件のみが一向に実現しないということであった。
つまりどれほど自己決定/自己判断の余地が拡大しても、そのことによって人々が、自由な個人でありながら同時に公共的な道徳によって結ばれているという人間類型――換言すれば“各人のため”であることと“万人のため”であることが一致して感受されている、より高級な自由、あるいは「積極的自由」や、真の意味での“意志の自律”の実現(12)――へと向かっているようには見えなかったということである。
確かにこの問題そのものは、かなり早い段階から認識されてはいたはずである。例えば後に見るように“解放”によって現れた自由な個人が、実際にはことごとく利己的な私人へと転倒しているという認識は、件の“プロジェクト”を信じる者たちの間でも有名な逆説となっていたからである。
しかしこの問題の原因は、「20世紀」において、往々にして“条件整備の不徹底”に求められ、結局はよりいっそうの第一条件と第二条件の精緻化という形で回収されてきたといって良い。
つまり個人が「自立」に至らないのは――それが前提とする“シナリオ”に誤りがあるのではなく――例えば差別を生みだす強固な伝統や社会的抑圧、あるいは根深い貧困や無知といったように、主として“改革の不十分さ”に由来するのであって、必要なのは、あくまでよりいっそうの富の拡大や行政サービスの拡充、そして地道な啓蒙活動であるといった具合である。
われわれは、こうした“楽観主義”がもたらされた背景に、「20世紀」という時代の根深さを感得しなければならない。すなわち〈自立した個人〉の理想は、その実態がどれほど現実と乖離したものであろうとも、人々があの際限なく“発展進歩”していく世界の前提に埋め込まれている限りにおいては、約束された未来の名のもとに、決して色褪せることはなかったからである。
かつてE・フロム(E. Fromm)は、自由は孤独の苦しみを伴うが、われわれは決してその苦しみから憧憬の過去へと“逃走”してはならないと主張した(13)。いわばそれと同じように、われわれがいままさに“偉大なプロジェクト”の途上に立っていると確信するとき、不都合な現実は、あくまで来るべき未来のための“通過点”であるとして矮小化されるのである(14)。
しかしこのことは、「20世紀」の前提が崩れ去るとき、〈自立した個人〉の前提もまた破綻していくということを示唆していた。「自立」が達成されないことへの問題の先送り、すなわち〈自立した個人〉へと至る条件の精緻化をひたすら試み続ける“無限の循環構造”は、経済成長が停止し、行政サービスの拡充が不可能となるなかで、当然行き詰まることになるからである。
(3)〈自立した個人〉をめぐる根源的な矛盾②――〈生の自己完結化〉および〈生の脱身体化〉の“写像”としての個人の「自立」
しかし〈自立した個人〉のイデオロギーに含まれる真の問題は、さらに別のところにある。それは、この「自立」のための条件の精緻化と、先に見た〈生の自己完結化〉と〈生の脱身体化〉の過程が、実際には“コインの両面”のように、異なる方位から捉えた同一の現象であるということである。
これまで見てきたように、「自立」の条件となる人間存在の“解放”とは、見方を変えれば、そのまま生きることに直接的な他者との関係性を必要としなくなる〈生の自己完結化〉、そして生の前提から身体を持つことの意味が欠落していく〈生の脱身体化〉と地続きの関係にあるということである。
つまりわれわれがその理想を追い求める限り、われわれの生は、あの“無限の循環構造”によって、むしろ際限のない〈関係性の病理〉と〈生の混乱〉とに没入していくことになるのである。
われわれは、このことこそが〈自立した個人〉のイデオロギーをめぐる真の逆説であると見なさなければならない。〈自立した個人〉の人間学は、根源的には人間存在の“無限の解放”を肯定しているのであり、それゆえ、われわれが直面している人間的現実について正確に捉えることができない。
そしてそれゆえに、なぜ、これほどまでに現代人が関係性に当惑し、“生きる”ことに動揺するのかということについても、その意味を取り違えて理解してしまうのである。
このことを象徴するのが、〈自立した個人〉の人間学を基盤に組み立てられた、先の“自由の逆説”を克服するためのもうひとつの論理である。
それは端的には第三条件が達成されない原因を〈社会的装置〉の存在に求めるという方法、すなわち“解放”によって現れた諸個人が利己主義へと向かっていくのも、また存在論的に動揺してしまうのも、〈社会的装置〉という新たな桎梏――とりわけ競争と市場原理によって人間を分断していく市場経済システム――が出現したことによって、人々が真の自由へと至るあゆみを阻害されてしまったからだと理解する諸言説である。
例えば“人間疎外”という概念にはじまり、これまで「疎外論」、「物象化論」と言われてきたものは、その代表的なものであるだろう(15)。そこでは伝統的な抑圧に続き、今度は新たな条件として、人間を歯車のように疎外している〈社会的装置〉、すなわち市場経済システムからの“解放”が問題とされる。ここにおいて真の「自立」は、この新たな“通過点”を経てはじめて実現されるものとなり、先の“シナリオ”もまた上書きされることになるのである。
仮にこの論理が正しいのであるとすれば、先にわれわれが〈関係性の病理〉や〈生の混乱〉として描いてきた数々の“矛盾の兆候”もまた、市場経済システムという〈社会的装置〉のあり方に問題があるということになる。逆に言えば、ここでは市場経済システムという原因さえ取り除くことができれば、一連の問題は円満に解決し、首尾よく〈自立した個人〉が現れるはずだということにもなるだろう。
しかし事態はそれほど単純ではない。例えばここでの新たな“解放”が〈社会的装置〉からの解放だとするならば、そもそも〈社会的装置〉によって伝統的な「旧世界」から解放されたはずの人間が、今度は自らを解放に導いたはずの〈社会的装置〉からも解放されるという“二重の解放”となる。
ところがこうした事態は、そもそも人間学的には想定されえないのである。というのも、例えば人間が労働から解放されるためには、それを代行する使用人やロボットが必要であり、人間が共助の雑務から解放されるためには国家行政サービスが必要だったように、人間が何ものかから解放されるためには、常にそうした状態を作りだす“人為的な舞台装置”が必要となるからである。
つまり〈社会的装置〉=市場経済システムからの解放というものがありえるとするなら、それに代わりうる新たな“舞台装置”とは何かということこそ本来問われなければならない。しかしこうした議論は、往々にしてそのことに対して無自覚なのである(16)。
もっともある一時代においては、あたかもこうした“二重の解放”が可能であるかのように人々を錯覚させる社会的土壌が存在していたのも事実である。それはわれわれが先に見た、あの「旧世界」と「新世界」の“二重世界”のことであり、そこでは地域社会が担ってきた役割が国家や市場へと組み替えられていく生活世界の構造転換の過渡期にあって、人々は一方では地域社会の古い人間的基盤に寄りかかりつつ〈社会的装置〉を攻撃し、他方では〈社会的装置〉をあてにしながら地域社会の不自由を否定するという、本来矛盾する立場が成立しえたということである。
しかし地域社会の人間的基盤が消滅し、〈社会的装置〉が巨大な「インフラ」となって生活世界をくまなく包摂した時代においては、生活世界は〈社会的装置〉に一元化され、人間はそれを相対化して理解することが不可能となる。このとき人々にとって〈社会的装置〉は、もはや生活世界に君臨して人々を制圧する新たな権力機構としてではなく、人々に〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」を保障し続ける、むしろ生の実現において不可欠な、そして唯一の社会的基盤として想像されるからである。
要するに、ここでは暗黙のうちに、〈社会的装置〉が与えてくれる「自由」と「平等」を享受しながら、同時にその〈社会的装置〉からも“解放”されるなどといった不可能な想定がなされているのであり、その論理は当初から破綻していたのである。
結局のところ、〈自立した個人〉の人間学においては、“解放”は無条件に良きものでなければならならず、そのイデオロギー的前提によって、ここでは真の問題が〈社会的装置〉によって実現される“解放”それ自身にあるのだということが看過されてきた。そして実際われわれは、そのイデオロギーを救いだそうとするあまり、長年にわたって多くの事態を誤認し、多くの問題を取り違えてきてしまったのである。
実のところ、〈自立した個人〉のイデオロギーに含まれていた最大の誤認のひとつは、先の“自由の逆説”それ自体のなかにある。すなわち“解放”された個人は、もっぱら独善的な利己的主体として転倒するというあの一連の理解である。
確かに現代に生きる人々の大部分は、〈社会的装置〉に「接続」するために市場経済への参入を必要としている。そして市場経済の直接的な主体は営利組織であるため、経済活動は必然的にある種の利己性を帯びるだろう。
しかし現代人を説明するための方法として、利己的主体という概念はどこまで現実に符合するものなのなのだろうか。現代人が利己的に見えるとするなら、それはおそらく現代社会が「旧世界」と比較して多様な価値を許容する――むしろ何もかもをも“価値観の違い”として肯定してしまえる――社会になったためでもあるだろう。われわれがここで見いださなければならないのは、むしろある種の道徳的配慮さえ伴いながら、自由な意思と自己判断/自己決定に基づいて、自ら“自己完結”へと向かっていく人間たちの姿である。
現代人は、いまや互いに“自己完結”した〈社会的装置〉の〈ユーザー〉であって、適宜社交と交流は行うものの、他者の生そのものには一切の介入を望まない。そこで機能しているのは、他者の生に介入しないと同時に、自らの生に他者が介入することをも許さない、そしてその代わりに、自らの生の帰結については各自が一切の責任を負うという暗黙の道徳的配慮、いわば「不介入の倫理」というものだからである(17)。
このことはいったい何を意味するのだろうか。つまりわれわれはもはや、偉大さへと向かうシナリオの“通過点”に立っているのではない。
端的に言うなら、われわれはすでに〈自立した個人〉に到達しているのであり、われわれが今日見ている人間こそ、「自立」のプロジェクトがもたらした「道徳的主体」の正体であるということ、われわれが見ているこの世界こそ、そのプロジェクトが実現した、理想の本当の姿であるということなのである。
(4)新たな“人間学”の必要性
以上の議論を通じて、われわれは〈自立した個人〉というイデオロギーに含まれているさまざまな問題点について見てきた。そしてそこから見えてきたのは、〈自立した個人〉という人間の理想は、〈自己完結社会〉の成立という現実を前に、もはやわれわれが生きる時代の指針にはなりえないということである。
したがってわれわれが立ち向かうべき課題は、「自立」が実現しない要因を新たに探し求めることではなく、むしろその人間学が前提としてきた“人間理解”のどこに、本質的な誤りがあったのかを明らかにすることである。そしてわれわれは、ここで人間存在の本質とは何か、人間にとっての生の本質とは何かという最も根源的な問いにまで遡り、そこから新たな時代に相応しい「人間の再定義」へと向かっていかなければならないのである(18)。
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(1)西洋近代哲学と「自由の人間学」については、【第十章:第二節】および【補論二】を参照のこと。
(2)福沢によれば、“独立”とは「自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う」とある(福沢 1942:33)。
(3)1920年代から30年代にかけて、経済の計画化や階級闘争の主体となる“大衆”の存在は、新しい時代の象徴となっていた(有馬 1999)。それから敗戦まで、わが国では「近代の超克」に象徴されるように、自由主義や個人主義は、克服されるべき社会の“古い形態”を体現していると考えられていた(河上/竹内他 1979)。
(4)丸山(1961)。なお、丸山の思想については【第八章:第二節】および【第九章:第三節】も参照のこと。
(5)「雑居を雑種にまで高めるエネルギーは認識としても実践としてもやはり強靭な自己抑制力を具した主体なしには生まれない。その主体を私達がうみだすことが、とりもなおさず私達の「革命」の課題である」(丸山 1961:63-66、傍点はママ)。
(6)詳しくは、【第九章:第三節】を参照。
(7)丸山(1961:46)。
(8)他にも大塚久雄は、「近代的人間類型」という語を用いて、丸山ときわめて近い認識に至っていた。つまりキリスト教や革命の伝統がなかったわが国では、民主国家が成立する条件として、まずもって人間が、個人としての内面的価値を自覚するエートスを身に着けなければならないという指摘である(大塚 1969:175)。
(9)詳しくは、【第九章:第三節】を参照。
(10)このことを【第九章:第三節】では、「〈生活世界〉の構造転換」の“過渡期”として位置づけ、またその時代を生きた人々を比喩的に〈旅人〉と呼んで分析することになる。
(11)「ポストモダン論」との関連も含め、この問題は【第九章】において再度見ていくことになる。〈自立した個人〉の思想と「アソシエーション論」(ないしは、「新しい市民社会論」、「公共性(圏)論」)の関係については、【第八章:第二節】を参照。
(12)この着想は、J・J・ルソー(J. J. Rousseau)による「特殊意思」(volonté particulière)と「一般意思」(volonté générale)の統合という主題にはじまり(ルソー 2005b)、I・カント(I. Kant)、K・マルクス(K. Marx)といった後の思想家にも絶大な影響を及ぼしたものである。それはバーリン風に言えば「~への自由」(freedom to)であり(バーリン 2000)、「第二次マルクス主義」の用語を用いれば「自由な個性と共同性の止揚」とも言える。一連の議論については、【第八章:第二節】および【補論二】も参照のこと。
(13)『自由からの逃走』(Escape from Freedom, 1941)においで問われていたのは、世界的に最も“自由”を得たはずの20世紀の人々が、なぜ自ら全体主義へと向かってしまったのかという問題であった(フロム 1965)。
(14)増田(2016)は、後に見る「新しい市民社会論」をも射程に含め、こうした〈自立した個人〉のイデオロギーが、未来に実現する近代的理想を前提に、常に現実をその途上として理解してきたとして「停車駅論争」と表現した。
(15)「疎外論」は、マルクスの「疎外された労働」の概念(マルクス 1964)を人間活動一般にまで拡張したもので、何らかの外的要因によって“本来の人間の姿”が歪められることを問題とし、とりわけ資本主義社会における人間の病理を説明する際に用いられてきた(富田 1981)。「物象化論」は「疎外論」をさらに展開させ、資本主義社会における“人間と人間の関係”は、あたかも“物と物の関係”であるかのように現前するとし、ここから“利己主義”や“存在の揺らぎ”の根源的な原因もまた資本主義にあるという提起がなされてきた。「疎外論」に対する本書の学術的な位置づけについては、【補論二】を参照のこと。
(16)実は、この“新しい舞台装置”とは何かという問いに対して、「国家」と答えてきたのが【第一章】で見た東側世界のイデオロギー、すなわち国家社会主義であった。「第二次マルクス主義」であれば、ここで「アソシエーション」と答えることになるかもしれない。「アソシエーション」の問題については、【第八章:第二節】を参照のこと。
(17)このことを強調するのは、われわれがしばしば今日の社会を、いまなおエゴイズムとしての私人化が蔓延した社会、あるいは倫理規範が機能不全となるという意味でのアノミー状態として理解している場合が多いからである(アノミー概念については、【第一章:注44】も参照のこと)。なお、ここでの「不介入の倫理」については、【第八章:第六節】において詳しく論じる。
(18)【第一章】でも触れたように、ここで目指されるべき「人間の再定義」は、例えば〈自立した個人〉に代わる人間の理想を、新たに理念として構築するということではない。それは「亡霊」となった古い人間学に代わって、時代や人間を理解し、説明するための新たな「世界観=人間観」を構想することであり、「強度を備えた〈思想〉」を構築することである。その意図については、改めて【序論:第二節】を参照してほしい。