【本文】


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

『〈自己完結社会〉の成立』
【序論】――本書の構成と主要概念について


(1)不透明な時代における知への危機感


 最初に見ていきたいのは、本書の副題ともなっている「現代人間学」とは何かということについてである。「現代人間学」は、これまでの人文科学的な知(1)、とりわけ従来の哲学のあり方に対する反省のなかから構想された、ひとつの新しい哲学的方法論である。
 本書には、〈自己完結社会〉をめぐる分析を通じて、この新たな方法論を実践していくというもうひとつの目的がある。そのため、ここにある問題意識を共有しておくことが、本書を理解するための最初の補助線となるだろう。

 【はじめに】でも触れたように、筆者は今日の人文科学的な知、とりわけ哲学分野における知のあり方に危機感を抱いてきた。それを一言で述べるのなら、今日の人文科学的な知が、全体として、われわれの直面している社会的、人間的現実に対して、有効な説明能力をほとんど失っているように見えることである。
 例えばわれわれは、いまこの瞬間にも、わずか10数年前の常識でさえ明日には通用しなくなるかのような、激しい変化と不透明性のなかを生きている(2)。そして実際われわれは、いままさにコスモポリタニズム(世界主義)、多文化共生、国際平和といった従来の理想が、現実に抗しきれずに瓦解していく様子を目の当たりにしているとも言えるだろう(3)
 国内に目を向けてみれば、今度は心の病の日常化、高齢化する引きこもり、生涯未婚率の増大、孤独死の蔓延といった問題ばかりが目を見張る。こうした事態は、いずれも急激ではないが生活世界の着実な破綻を予感させるものであり、従来の人権擁護や富の再分配、抑圧の可視化といった視点だけでは到底捉えきれないものを含んでいる。
 そうした数々の現実に対して、はたして今日の人文科学的な知は、確かな応答ができていると言えるのだろうか。むしろ従来の人間的理想が無残に破壊されていく様を見て、困惑し、ただただ立ち尽くしているようにも見えるのである(4)

 そうだとすれば、一連の事態に対してより大きな責任を有しているのは、おそらく“哲学”だろう。なぜなら哲学こそは、人文科学の実践に不可欠となる“基礎概念”を整備し、人文科学的な知を下支えしていく役割を担うものだからである。
 人文科学の実践においては、有効な基礎概念があるからこそ、われわれは現実のなかに対象を見いだし、何かを問題として切りだすことが可能となる――例えば、理性、自由、平等、権利、連帯、正義、権力、抑圧、資本主義、全体主義といった概念こそ、これまで人文科学において基礎概念としての役割を果たしてきたものであった。
 したがって今日、人文科学的な知そのものが行き詰まりを見せているのだとすれば、その原因の一端はまさしく哲学にあって、現実に呼応できるだけの十分な基礎概念が整備されていないからだと言うこともできるのである。

 では、哲学の実状はどうだったのだろうか。
 これまでわが国の哲学実践は、主として海外の諸言説を読解し、紹介し、模倣することによって遂行されてきたと言える。研究者の立場から言えば、権威ある哲学者のテキストを読解したり、海外の新たなトレンドをいち早く国内に導入したりすることこそが、まさしく正統な哲学的方法論だと見なされてきた。そしてこうした方法論は、一面においては、確かに大きな成果をもたらしてきたのである。
 例えばいま、われわれが母国語で大学の講義を受講し、文系的問題を母国語によって討論できるのも、また『ラーマーヤナ』から『ニコマコス倫理学』まで、古今東西のあらゆる古典を読み尽くすことができるのも、明治期から続くこの高度な“翻訳文化”の賜物だと言える (5)
 加えてその後継者たちが、日夜そうした努力を継続してくれているからこそ、われわれはいまこの瞬間においても、最新の外国語文献を母国語で読むことができているのである。

 しかしそうした反面、わが国の哲学的実践はそうした方法論に傾斜していくあまり――【第九章】で見ていくように、それは戦後においていっそう顕著なものになっていくのであるが(6)――西洋世界の知識文化を後追いすること以外の術を見いだせずにいるようにも思える。
 問題は、そうした後追いが、常々日本社会の置かれた固有の歴史的、文化的文脈を看過したまま、文字通りの模倣と追従に近い形で行われているように見えるということである。
 前述のように、社会的現実が示しているのは、その「プログラム」の輸入元となる西洋世界でさえ、その基盤は決して盤石なものではないということだろう。むしろ本書で見ていくように、西洋世界の知的伝統の深淵にこそ、今日の人間学的危機を紐解く手がかりが潜んでいる可能性さえある。
 要するに、従来のように読解や紹介や模倣を繰り返すだけでは、今日の人文科学が置かれた事態を乗り越えることはできないのではないか、われわれは一方で翻訳文化の優れた伝統を引き継ぎつつも、他方では、それとは異なる新たな哲学的実践を必要としているのではないか、ということである。
 そしてそれが西洋世界の後追いではないとするならば、目指されるべきは、あくまで現実世界との対峙を出発点とし、そこからさまざまな“知的実験”を自ら試みていくこと、そして自らが拠って立つべき新たな基礎概念、あるいは世界観や人間観そのものを創出していくこと、ということになるだろう。一言で述べれば、思想を研究対象として扱うだけではなく、思想それ自体を創造していくことが求められているのである。



(2)「現代人間学」の方法論的特徴と〈思想〉の実践 へ進む



(1)一般的に“人文科学”という語は、自然科学や社会科学とは区別される、例えば哲学、文学、歴史学などの学問領域のことを指して用いられる場合が多い。ここではそれをより広く捉え、自然科学を除く、人間/社会を対象とするあらゆる知的営為を含むものとして考えている。
(2)この一文を執筆している2018年時点で言えば、「アラブの春」の帰結としてのイスラム国の登場、日本人をも標的とするテロリズム、移民/難民問題がもたらした世界的混乱、自国第一主義の拡大、東アジアにおける国際秩序の動揺などが記憶に新しい。こうした事態を、10年前の人々はほとんど予見することができなかったはずである。
(3)ここで言う“コスモポリタニズム(世界主義)”とは、全世界の人々が特定の国家、宗教、人種、地域社会などの枠組みを超え、全人類的な意識へと統合されることを指している。同様に“多文化共生”とは、人々の世界的な統合を達成するにあたって、それを主として多様性を包摂した相互理解を通じて実現すること、“国際平和”とは、国際社会において生じた紛争を、武力や経済力を用いた威嚇ではなく、公正な対話によって解決していくことをそれぞれ指している。こうした理念は、世界史的には第一次大戦以来の普遍主義的な理想を背景とし、さらに言えば第二次大戦の勃発、冷戦の出現といった形で繰り返し挫折を余儀なくされてきたものでもあった。グローバル化の時代、人々は世界がついにそうした理想へと結束することを期待していたのだが、われわれが知るように、人類がそうした「偉大な普遍」に至ることなどついになかった。世紀を越えてわれわれが目撃したのは、むしろそうした「偉大な普遍」こそが、ある種の“暴力性”を振りかざしていく皮肉な現実だったと言えるだろう。
(4)例えば2018年に行われた総合人間学会の第13回研究大会において、「科学技術時代における総合知を考える――文系学問不要論に抗して」と題して実施されたシンポジウムの趣意書には、今日の「文系学問不要論」の原因が、文系分野の学問に対する誤解や文系学問研究者自身の説明不足、そして何よりも科学技術万能主義や金融資本主義による利益追求への傾斜にあるとされている(総合人間学会 2018:6)。筆者は人文科学の側がこうした認識をこえられない限り、わが国の人文科学に未来はないだろうと考えている。そもそも人文科学は、人間が生存するための諸活動に直接寄与するものではない。このことは、それが必要であるという社会の意思と支援がなければ、人文科学そのものが存続できないということを表している。そのため人文科学に従事する者は、人間社会の文化的/意味的基盤の醸成を担うものとしての自負を持ち、そうした社会からの敬意と要請に応えていくための努力を怠ってはならないだろう。「文系学問不要論」が出現してきた背景のなかには、「今日の人文科学は、それだけの支援、あるいは尊敬に値するものではない」という、社会の側からの厳しいメッセージが含まれているように思える。それにもかかわらず、少なくない当事者たちは、その原因の一端が人文科学の側にもあるとは少しも思い至らないからである。
(5)例えば今日われわれが用いている“自由”、“社会”、“個人”、“権利”といった「日本語」は、すべて明治期に造られたヨーロッパ言語の翻訳語である(柳父 1982)。こうした翻訳語の整備は、当時の人々の多大な努力によってなされたものであったが、それによってわが国の人文科学は、西洋世界の知識文化との互換性を保ちつつ、母国語で実践可能なものとなった。こうした事例は非西洋文化圏においては希有なことであり、われわれはその事実を決して忘れるべきではないだろう。
(6)同じ翻訳文化といえども、戦後日本と明治/大正期の間には、深い断絶があるように思える。それは【第九章】でも見ていくように、前者が、戦前までの蓄積をすべて否定し、西洋世界への同一化をひたすら希求するものだったのに対して、後者は、西洋世界を参照しつつも、それをこの列島で培われてきた蓄積と融合させ、それによって自らの拠って立つ新たな道を模索しようとしていた側面があったからである。